平和の王が来る 「狼は子羊と共に宿り」イザヤ11・6

2025/12/05

弱者 平和

 2025年12月7日 降臨節第2主日

エドワード・ヒックス「平和な王国」1833年,ウスター美術館,英国.

弱肉強食は動物界では自然ですが、人間関係では不正義です。悪です。人は単なる動物ではなく、一人一人がかけがえのない神の像だからです。

ウクライナの領土を奪うロシアもそうですし、パレスチナを奪う現代イスラエルも同じ。人間関係でも、ハラスメント被害に合うのは力や声が弱い立場の人です。自分の中でも威勢のよい自分は弱い自分を受け容れずに、無視しようとします。

紀元前8世紀、イザヤは古代イスラエルの弱肉強食の歴史の中から「平和の王」を預言しました。大国アッシリアの陰に怯える弱小王国ユダに神は王を遣わす。神はダビデへの約束に忠実に、その「エッサイの株」から王を出す、と。

ただしこの王は力で相手を喰らうこの世的な王ではありません。「主を知り、畏れる霊」に動かされ、「弱い者たちを正義によって裁き」(11:4)この世的には考えられない平和の王国を打ち立てます。

それを表すのが「狼が子羊と共に宿り、乳飲み子はコブラの穴に戯れ」というイメージです。弱者が完全に守られ、また強者もまた弱者を襲おうとしない王国です。

挿絵はエドワード・ヒックスです。彼はクエーカーの伝道師でした。当時、彼と従兄弟は「異端」扱いされ、教団から排斥されたそうです。遠景には先祖と原住民の平和協定を描き、その前で獅子や牛や子どもらが共に私たちを見つめ、平和の王の到来を訴えます。ヒックスは一途に平和を祈り、このイメージを100枚以上描き続けました。

イザヤの預言は770年後に驚くべき形で成就します。平和の王は弱者となったのです。弱々しく十字架で人類の「弱肉強食」の罪を自らが引き受けて死に、その罪をその死で裁いて滅ぼしました。そして復活することで、弱者が強者から守られる平和の王国を始めました。 

平和の王は来ます。私たちはその家来です。自分の内なる弱者を素直に受け容れて、力を求める暴力的な自分から大切に守りましょう。そして個人的な内なる世界だけでなく、外の現実の弱者を守るため、少しでもいい、働きましょう。

「私はあなたを必ず守る。狼から、コブラから。だからあなたも一緒に守ってくれ。私の子羊を、私の乳飲み子を。」


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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