2025年12月14日 降臨節第3主日
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| ラファエル「歩けない人の癒し」1515,Victoria &Albert博物館 |
友人は私と同じ躁うつ病という持病を抱えています。病気のせいで仕事も家族も財産も失い、自暴自棄になっていたとき、今の主治医に出会い言われたそうです。「僕なら治せる。元気にしてあげる。」その言葉が涙するほど嬉しかった、と。
「萎えた膝を確かにせよ」とは第二イザヤの言葉です。時代は紀元前6世紀。国は次の帝国バビロニアに滅ぼされ、ゼデキヤ王の目はくり抜かれ、民は敵の都バビロンに拉致されました。心の目と耳には神は見えず聞こえず、手は弱って夢を掴めず、足は萎えてもう人生を歩み続けられずにへたり込んでいる状態。そしてはや50年。自分たちは罰を受けたまま死ぬだろう。夢にまで見た故郷に帰るため、再び歩き出すことはないだろう。そう絶望していました。
そこでイザヤは希望を語りました。神の道具として新しい帝国ペルシャが来る。バビロニアは倒され、お前たちは祖国に帰ることができる。それを美しい詩的なビジョンで語りました。
「砂漠に花が咲き、歌い、輝く!弱った手を強くし、萎えた膝を確かにせよ! 見えない人は見え、聞こえない人は聞こえ、歩けない人は鹿のように跳ね、口の利けない人は歓び叫ぶ! 」
そして民は神さまに力づけられ、ギュッと手を握り、グッと膝に力を入れ、故郷に向かって砂漠を歩き始めたのです。
この希望は540年後イエスさまの内に最終的に成就します。それは神が私たちと同じ人間となり、弱さを引き受けて死に、強い命に復活したことです。私たちはその強い命によって「萎えた膝を確かに」します。この方が私たちの心を確かにし、一緒に歩み出してくださいます。
友人は結局治らず、一時は余計に悪くなりました。それでもあの希望の言葉を思い出すと、いまでも泣けてくると言います。人には希望が要るのです。
クリスマス。それは萎えた膝に手を置いて励ます、イエスさまの希望の言葉です。
「膝を確かにせよ。さぁ、立って帰ろう。父の待つ、心の故郷に。」
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