2025年12月21日 降臨節第4主日 クリスマス礼拝
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| アントン・ラファエル・メングス, 「聖ヨセフの夢」,1773,美術史美術館,ウィーン. |
「パパ、サンタクロースってほんまにおるん?」「おるで」「じぁあ証拠見せて」「せやなぁ、、、」こうしてその年のクリスマスは、人参と牛乳をリビングの真ん中に置いて寝たのでした。すると翌朝「あ、人参かじられてる!牛乳も飲まれてる!」疑いの中では証拠を求めるものです。これは人生の疑いも同じです。
紀元前733年、弱小国のユダも危機にあり、神が共にいるのか、疑いのなかにありました。大国アッシリアの圧力に押され、隣国が組んで攻めてきたのです。怯える王アハズに預言者イザヤはこう告げました。「主にしるしを求めよ、陰府の深みへと、あるいは天へと高く求めよ」。ヘルプを出せと。そうすれば「私はあなたと共にいる」ことの証拠を示し、実際に救ってくれると。
しかしアハズ王は偽の敬虔を装って主に信頼せず拒絶します。「私は求めません。主を試しません。」
それに対してイザヤは、それでも神の証拠を与えると告げました。「おとめが身ごもって男の子を生む。その子の名はインマヌエル。主が共にいる、しるしだ」と。 ピンチのときは証拠を求めなさい、と。
それが540年後に生まれたイエスさまです。あなたの弱さと悪を引き受けて、あなたのために死んだお方。その存在が神があなたを愛して共にいることの証拠です。
教会のピンチ、人生のピンチにあって、私たちはつい自分の考えの範疇に留まります。「自分で何とかしなければ」と思い込むか、または勝手に諦めます。「神さま、助けて」とヘルプを出しません。神が共にいることの証拠を求めません。
しかし神は私たちがご自分を信じ、共にいる証拠を求めてほしいのです。「神さま、共にいてくれる証拠をください」と願ってよいのです。求める心ほど愛を受け入れます。渇く地にこそ雨は染み込むのです。
「小さい頃は神さまがいて」で始まるユーミンの「魔女の宅急便」の主題歌はしるしを歌います。♪目に映る全てのことはメッセージ♪求める目には、神さまの証拠が、しるしが見えます。「どんな疑いのなかでも、私はあなたと共にいる。」
聖餐で証拠を、しるしを受けましょう。それは目と手と口で感じるイエスまです。神の愛の証拠です。
「苦しい時、疑う時こそ求めなさい。共にいる証拠、しるしを示すから。『証拠を見せて!』って。」

