2025年12月25日降誕日
エルコレ・デ・ロベルティ.「聖餐の制定」1490,National Gallery.London.より
体調の悪い日には自分の体を恨みます。こんな体でなかったらもっと働けたのに、と。
しかし降誕日に祝う受肉の喜びは体あってのものです。私たちに肉体があるからこそ、神は私たちと同じ肉体をとり、私たちのなかに宿らにれた。共にいてくださる。体がなければ握手や抱擁をして相手を感じられないように、体がなければ私たちは肉となって宿られた神に救われることはないのです。
当事者会というものがあります。私が世話人をしている「マ・カタリーナ」もそのひとつです。同じ病気や障害や、または同じ悲しみや被害を受けた人同士が集まってその体験を語り合います。同じ体験のない医者や支援者は助言するのがその役割ですが、当事者はより深く「自分ごと」として聴き入ります。「私も同じ」。ひのひと言で「一人じゃないんだ」と感じて慰められ、力づけられます。救われます。
神は、私たちと同じ肉体をもって、人間を生きる当事者となりました。病気や死や悲しみ苦しみを知りました。罪は肉体的な死の力の精神的な現れです。イエスさまは真の人間として、病気にもなったろうし、罪の力をも知ったろうし、死を恐れ深い悩みに陥り、父に祈り求めました。すべては肉体をとおしてです。
そうして神は私たちの生きる肉体を、その死の力ごと、イエスさまの肉体をとおしてご自分の内に受け容れられました。そしてその肉体わ持って十字架で死ぬことで死を滅ぼし、復活することで新しい肉体、全く健やかな心身と魂。救いを始められました。
ご聖体は神が受け容れ、新しくし、救われた肉体です。さぁこの救いに与かり、慰められ力づけられ、変えられ始めましょう。神が宿ってくださる新しい肉体の当事者に。
「さぁ、自分の体で感じておくれ。私はあなたと共にいる。私はあなたの体の中にいる」

