2026年8月2日聖霊降臨後第10主日(特13)聖餐式
5千人の養いの物語はパンを増やす「ドラえもん的な力」で読者を驚かせたいのではありません。神の国とは何か、を示したいのです。
物語はこう始まります。「イエスはこれを聞くと」。「これ」とはヘロデ・アンティパス王によって、その兄嫁奪いを批判した洗礼者ヨハネが斬首された知らせです。アンティパスはガリラヤ湖畔に商業都市ティベリウスを建設して都とし、強い経済力を得、その力で民を支配しました。その宮殿での豪華な誕生パーティーで、母に唆された娘サロメの願いを聞き、ヨハネを殺したのです。まさに命を奪う食卓です。
王宮の宴とは対照的に、ヨハネの斬首を聞いたイエスさまは船で「独り寂しい所」へ行かれます。荒野は、飢えと渇きの場、神に絶対的に頼り、神の憐れみが現れる場です。「殺されることで神の国を開く」という洗礼者の使命に連なる自分の使命を祈ったでしょう。ロデの力による支配を怒り、憐れみによる神の支配を求めたでしょう。
しかし群衆が町から陸路で先回りしていました。食料など気にせず、救いに飢えていました。この人々を見てイエスさまは「祈りの邪魔だ」とは思わず「深く憐れんだ」のです。腹わたから突き動かされる神の憐れみに支配され、病気の人や弱い人を癒やし続けました。
そして夕方に食事の心配をした弟子が「解散させましょう」と提案した時、主は答えました。「あなたが養え」。「パン5つと魚2匹しかない。」主はそれを「取り、天を仰いで祝福した」。不足は祈るのです。そして弟子はパンと魚を配り「人々はみな食べて満腹し、残りは籠一杯になった。」私達も憐れみ信じてを配るように命じられています。
主の食卓は命を奪う食卓ではなく、命を与える食卓です。王宮ではなく荒野で、力ではなく憐れみで民を治める。そして貧乏な人・病人・罪人、全ての人が喜びに満腹する場です。私達もその一人です。
現代の王、トランプもプーチンもネタニヤフも豪華な宴を開きつつ、力によって人の命を奪います。しかし神は憐れみで支配します。命を一人残らず憐れみ、心だけでなく体も養います。神の国とは、神が憐れみによって人を養う食卓です。 各地での炊き出しや貧困支援はこの憐れみの食卓を指し示します。
聖餐式はこの憐れみの養い、憐れみの食卓を示します。力ではなく憐れみに治められ、心も身体も養われる食卓。私たちは憐れみに養われ、その食卓で給仕する者です。
「私はあなたを憐れみ養う。あなたも人を憐れみ養いなさい。」

