2026年8月9日聖霊降臨後第11主日(特14)聖餐式
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| マルク・シャガール「エリヤの幻視」,1958年. |
新しい戦前です。先の戦争の嵐は、祈りをも軍国主義に歪めました。長崎の体験を持つ私たちは決して嵐に飲まれず、静かに神のささやきを聞き、平和を祈り求めます。
北王国の大預言者エリヤは偶像崇拝者らに命を狙われました。希死念慮を持ちつつ南のシナイ山まで逃げ、そこで神を待ちます。まず嵐が来ますが、神はそこにはいません。続いて地震、そして火が来ますが、神はそこにもいません。そのあと「かすかにささやく声」「沈黙の声」がします。この嵐の中の静けさが、神が今ここに存在しているしるしです。騒がしい心を静めて聴き入らなければ、聴こえません。そしてその声で気を取り直してしっかりし、新しい使命が与えられました。
イエスさま不在の弟子の船も嵐に遭遇します。迫害や内輪もめに喘ぐ教会や、人生の嵐の中でイエスさ不在を嘆く信徒のようです。
その嵐の中、イエスさまは海を歩いてきます。海は死の象徴です。その上を歩く主は、出エジプトの主です。しかし弟子たちは主と分からず、恐怖の中で「幽霊だ」と騒ぎます。そこでイエスさまは「安心しなさい(しっかりしろ)、私だ(あってある者だ)、恐れるな」と言います。私には、大声で叫んだのではなく「かすかにささやいた」のだと思えます。イエスさまの声は嵐の中の静けさです。騒ぐ心を静めてその声を聞けば、嵐の中に静けさが訪れます。
しかしペトロは海上のイエス様を憧れ慕い「私に近くまで歩かせてください」と願います。主に近づきたい。そして「来い」という自信を呼び覚ますささやきを聴いて、嵐の海を歩き始めます。最初はその声に聞き入っていたので歩けました。
しかし風を怖がり、主の声を忘れ、神の力を疑った瞬間、海に沈みかけて叫びました。「主よ、助けて!」。すると「すぐに」主がその手で捕まえました。心の騒音から、その静かなみ胸に、主が引き上げて下さいました。そして二人が船に乗ると「風は静まった」のです。
イエスさまの声は嵐の中の静かな声、かすかなささやきです。その声を聴き取るために、どんな人生の嵐の中にいても、いや嵐の中にいるときこそ礼拝に来て、祈りのうちに心を静め、主のささやきを聞き、沈む腕を捉えて頂きましょう。
「しっかりしろ。静かになって、私のささやきく声を聞け。わたしはここにいる。恐れるな。」

