2026年8月16日聖霊降臨後第12主日(特15)聖餐式
![]() アンニーバレ・カラッチ.キリストとカナンの女,1595年,スチュアード美術館,パルマ,イタリア |
自己主張が上手な人は反対意見にあっても自分を諦めず「私はこう思う」と「私」を主語にして意見を述べます。I(アイ)メッセージです。相手を否定し強制するYOUメッセージではありません。Iメッセージには知恵と訓練が必要です。
今日の「カナンの母」の祈りは、「へりくだりの模範」というより、神からの拒絶体験を前にした、力強い自己主張の祈りです。
直前でイエスさまは形式主義に陥った信仰を批判します。手洗いの儀式なしに食べた物は人を汚すと教えるファリサイ派を「口に入るものは出ていく、口から出る悪い思いが人を汚す」と一蹴します。私たちの形式主義とはなんでしょうか。
そして次に登場するカナンの母は三重苦でした。女性であり、「汚れた」異邦人であり、そして娘が悪霊に取り憑かれていました。
この母の口から出てくる言葉が真の信仰です。それは愛の祈りです。祈りは愛する人のためにされるとき最も強くなります。平和の祈りもそうです。カナンの母にとっては形式も宗教の違いもどうでもよく、ただ愛する娘が悪霊から解放されれば、という切実な叫びでした。
「主よ、ダビデの子よ、憐れんで下さい、キリエ・エレイソン!」
これに対してイエスさまは神の計画を答えます。自分はイスラエルの羊の救い主だと。それでも「助けて下さい」と諦めない母親に、今度は「子供のパンを犬にやれない」と侮辱表現で断ります。神からの拒絶体験です。ここで母親は、私たちは、諦めるかどうか試されます。
しかし母は諦めません。すべての知恵と勇気を働かせて答えます。まず「はい、救いの歴史はイスラエルのものです」と神の計画を肯定します。そのうえで「しかし、犬も主人の食卓から落ちるパン屑を頂きます。」「はい、拒絶されて当然です。しかし私は思います。あなたは憐れみ深い。私の娘にもあなたの憐れみがあるはずです」と。
この愛と祈りの決して諦めない「聖なる自己主張」を聞いて、イエスさまは「偉大な信仰だ」と宣言しました。そしてこの女の強い信仰に倣うように、愛する羊のために祈り続け、十字架へと向かわれました。
「共に主張しよう。あなたは憐れみ深い。私たちにもあなたの憐れみがあるはずです。子犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです、と。」
そうすれば、いつか必ず、聞えてくるはずです。「女よ、あなたの信仰は大きい。あなたの願い通りになるように。」

