2026年8月23日聖霊降臨後第13主日(特16)
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| The Sorrow of Saint Peter (La douleur de Saint Pierre) James Tissot |
「主イエスさま、助けて下さい。」病気が悪くなったり、不安になったりして祈るたび、本来の自分に帰る気がします。自分にとってイエスさまは救い主であるという真実です。
「他の誰でもなく『あなたがたは』私を何者だと言うのか」とイエスさまに問われてシモンは答えました。「あなたはメシア。」「あなたこそ旧約聖書が預言した、神の国を実現する油注がれた王です。私たち神の民は全てあなたに従います。あなたに支配されてこそ救われるからです」と。真実を表したこの信仰告白をイエスさまは誉め、宣言されました。「このペトロ(岩)の上に私の教会を建てよう。」(18)
しかし私たちも初期教会も知っています。シモンという教会の岩は強固で巨大な岩盤からは程遠い、鈍感さと不信仰と裏切りに溺れかける沼だと。彼は湖を歩こうとして沈んだ「小信仰者」で(14:31)、イエスさまの十字架を理解せずに「サタン呼ばわり」され(16:23)、変容では邪魔な幕屋を建てようとし(17:4)、ゲッセマネの園では眠りこけ(26:40)、大祭司の庭で裏切ります(26:69)。なぜこんなシモンをイエスさまは教会の「岩」としたのでしょうか。
それはペトロが諦めが悪かったからです。どれだけ誤解しても、信じられなくても、裏切っても、逃げ出しても、それでも諦めずそのつど最初のメシア告白に帰り、イエスさまについていったからです。
比べて、ユダも同様に裏切りましたが諦めました。そして絶望して死んでしまいました。悲しいことです。
しかしペトロはそのつど神の計画を新しく知り、最後には「メシアは自分たちの罪を受けて死に、復活した」という真実に導かれました。復活後の赦しの実感はどれほど深かったか。そして宣教に出るための聖霊が与えられたのです。この諦めの悪さこそが教会の岩です。それでよい、とイエスさまは言い、そんな姿こそ私たちに近い、と初期教会は魅力を感じたのです。
遠藤周作の「沈黙」で、キチジローは転び、パードレ(神父)を裏切り、代官側に引き渡します。しかしそれでも役人に引かれていく神父にずっと後からついていきます。そして牢獄まで来てせがみます。「パードレさま、許してくだされ、コンヒサン(赦しの秘蹟)してくだされ!」この諦めの悪さこそが、神からの声を聞く耳であり、教会の岩です。
ペトロの岩の上に辛抱強くしゃがみこみ、跪き、イエスさまに帰り続けましょう。「もう一度告白させてください。あなたこそ私のメシア、王、救い主。私を救ってください。」

