2026年7月12日聖霊降臨後第7主日(特10)聖餐式
![]() |
| ミレー「種を蒔く人」1948年.ウェールズ美術館 |
当時の中東地域での種蒔きは、耕す前に種を蒔いたそうです。だから道端や石地や茨の中に落ちて無駄になることがよくありました。これは人生の譬えです。私たちも無駄で空しい体験をします。祈り育てた我が子が神や教会を毛嫌いしたり、誠実に接してきた顧客が離れていったり、教会内の人間関係で傷つけられたり、どれだけ愛しても裏切られたり、どれだけ活動しても信徒は減る一方だったりします。
しかし歴史上のイエスさまが語られた譬えは本来種を蒔く「人」の譬え」です。蒔かれた「土地」の譬えは、後のマタイ教会の解釈です。種を蒔く人はイエスさまご自身です。イエスが家を「出て」教えたように(13:1)、種を蒔く人は種蒔きに「出て行った」のです(13:3)。
ここでの文脈は迫害と無理解です。「イエスさまの内に神の国が来た」という福音を十二使徒が伝えても人々は受け入れず、ファリサイ派は批判し、直前ではご自分の母も兄弟もイエスを利用しようとし、直後では故郷のナザレから排斥されます。無理解の道端と石地と茨の中で「それでも種を蒔こう」と呼びかけるのです。
種を蒔く人は「百倍、六十倍、三十倍」の大収穫を信じて蒔き続けます。イエスさまはイザヤ書の雨と雪の譬えを通して、神は必ず豊作をもたらすと信じて活動したのだと思います。「雨や雪は天から降れば天に戻ることなく、必ず地を潤し、ものを生えさせ、芽を出させ、種を蒔く者に種を、食べる者に糧を与える。」(55:10)自然界に働く創造主は同じように宣教にも働くと。
イエスさまは、ミレーの絵のように、どんなに畑が暗くとも、収穫を信じて蒔き続けました。十字架の死に至るまで蒔き続けました。そして全てが空しく思えたあと、復活の命の大豊作が与えられたのです。
私たちの仕事は、時が良くても悪くても蒔き続けること「まで」です。(2テモ4:2)そこから先は神さまの仕事です。相手の反応に執着しなくて良いのです。神の時が来れば必ず豊作はもたらされます。
聖餐で司祭はキリストの体を蒔き続けます。陪餐を受けたあなたも祭司の一人として種を蒔くのです。
『それでもあなたは神に愛されている』この種を共に蒔き続けよう。拒絶されても無駄になってもいい。あなたの仕事は種蒔きまでだ。あとは父が何とかしてくださる。」

