2025年8月3日 聖霊降臨後第8主日(特定13)
祖父は闇市から身を起こした商売人でした。最後は大きな家を買いました。しかし肺を病み「死にたくない」と嘆きながら60代で逝きました。大好きなおじいちゃんでした。ですが神を知る機会に恵まれなかったのです。19歳の私は考えさせられました。「本当の豊かさとは一体何か」と。
「もっと金が欲しい」という強欲に取りつかれた人が、イエスさまに救い主ではなく、遺産相続の調停人になってほしいと頼みます。
そこでイエスさまは強欲ヘの警告として譬えを語られました。庶民がその日の糧を祈る時代に、ある金持ちが倉に入らない豊作に恵まれ、思案した結果、もっと大きな倉を建てて自分の魂に言います。「この先何年もの蓄えができた、安心して人生を楽しめ」。自分の人生を決めるのは神ではなく自分です。
しかし神さまが人生を決めます。「神を知らない愚か者よ、今夜、命を返してもらおう。お前の富はどうなる。」そして言います。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」本当の意味では虚しい人生だ、と。
「神の前に豊かになる」は「財産を売って施しなさい」となります。(33)これはお金だけに限らない、、神の国での生き方のことです。命も金も神さまからお借りしている賜物。今日にでも、み心ならば、お返しすべきもの。だから「もっと欲しい」と執着するのではなく、必要な人に気前よく分け与えるとき、初めて人は本当に豊かになります。「全ての物は主の賜物、私たちは主から受けて主に献げたのです」。
そしてこの「与える豊かさ」こそイエスさまの命です。「受けるよりは与える方が幸いである」。(使20・35)。だから十字架で死んだのに、復活の命で輝いたのです。
金持ちが独り占めする食卓ではなく、自らを分け与え続ける主の食卓で、神の声を聞きましょう。
「自分にできる範囲でいいから、分け与えなさい。お金を、時間を、力を、人生を。そして本当の豊かさを知りなさい。与える豊かさを。」
あぁできることなら、大好きな祖父に大好きなイエスさまのことを話したい。