2025年7月27日 聖霊降臨後第7主日(特定12)
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William Holman Hunt: The importunate neighbour. 1895年. National Gallery of Victoria.Australia. |
病気の癒しを祈ります。そして時に思います。「神さま、なぜ祈りを聞いてくださらないのですか。」そんな私たちにイエスさまは教えます。「祈りは必ず聞かれる。」
それが「真夜中のパン」の譬えです。夜中に旅人にパンを準備せねばならず、友の家に行きます。ですが戸締りをし子供らと寝静まっていて断られます。それでも「しつように頼めば」友情ゆえではなく迷惑がゆえに願いを聞いてくれる。神はもっと慈しみ深いのだから、あなたの祈りを必ず聞く。だから諦めず祈り続けなさい、と。
ただしそれは自分の都合の良いようになるのとは違います。
イエスさまこそ「しつように頼み」祈られた方です。「み国(神の支配)が来ますように」と祈りました。み心です。そして祈りの中で変わっていきました。山上の変容で十字架の使命を受け入れ、ゲッセマネの園で自分の心をみ心に委ねました。そう祈り続けることで、イエスさまは死に逝く者から、復活の命に輝く者へと変わり、神の国が開きました。この神の国こそイエスさまが祈り求めたものだったのです。
祈りは人を変えます。み心に沿うように変えられ、神はそれを成就します。振り返ればそれこそが自分の本当の願い、本当に求めていたことだったのだと気づくのです。それが人間の成就です。
代祷で個人的な祈りも献げましょう。み心に沿うように変えられ本当の願いを成就して頂くために。
「父は本当の願いを成就される。だから、しつように祈ろう。」
——「ある無名兵士の詩」---
成功したいと力を神に求めたが、謙虚に従うようにと、弱くされた。
より偉大なことをしたいと健康を求めたが、より善いことをするようにと病弱が与えられた。
幸せになりたいと財産を求めたが、賢明になるようにと貧困が与えられた。
称賛されたいと成功を求めたが、神を必要とするようにと弱さが与えられた。
人生を謳歌したいと多くの物を求めたが、命だけが与えられ、どんな物でも喜べるようになった。
願ったことは何一つ与えられなかったが、求めていたことはすべて
与えられた。
ほとんど自分の思い通りにはならなかったが、言葉にならない祈りはすべて聞かれた。
色んな人がいるが、私は最も豊かに祝福された人だ。