2025年7月20日 聖霊降臨後第5主日(特定10)
![]() |
Johannes Vermeer. マルタとマリアの家のキリスト.1654–1655. 158 x 141cm. Scottish National Gallery. |
「働き者の姉が叱られて、なんでボーッとしている妹が誉められるのか」という声が聞こえてきそうです。
ですがイエスさまは、もてなしの働きを軽視したのではありません。そうではなく、多忙さゆえに「思い悩み、心を乱し」て妹に不満を募らせているマルタに愛を込めて語り掛けているのです。「マルタ、マルタ」と。(10・41)それは放蕩息子の兄に愛を込めて「子よ」と呼びかけた父と同じです。
マルタは一同の洗足の用意や、ぶどう酒や、料理のことで頭がいっぱいで、ゲスト本人の存在は二の次になっていました。だから「必要なことはただ一つだけだ」と。
その唯一必要なおもてなしとはゲストの言葉と心に聴くことです。
今、ベタニアの自宅に迎え入れた目の前のこのお方は神の子。このお方はエルサレムの十字架と復活へと進むにあたって、赦しを語られている。「わたしがあなたの代わりに死ぬのだから、あなたの罪は赦される。」 この方の望みは洗足でも酒でも料理でもない。自分の言葉を、神の言葉として聞くこと。
教会生活も同じ。教会委員、礼拝奉仕、掃除、婦人会、そして献金も・・・。私たちは様々な奉仕で主をもてなしています。喜びです。ですが時に、摩擦や虚しさに「思い悩み、心を乱します。」そんな時に心に覚えましょう。最重要のもてなしはゲストの話しを聴くことだと。
このフェルメールの絵は、礼拝堂への献品だったそうです。礼拝は聴くというもてなしです。聖書と説教を通して主の言葉に聴きます。聖別祷とご聖体で自らを現す主の存在に聴きます。「あなたのために与えられた主イエスキリストの体。」
人生も同じ。イエスさまを心にお迎えするために「思い悩み、乱した心」を全て捨てて今、目の前におられるゲストの言葉に聴き入る。「私はあなたと共にいる」「恐れることはない」「あなたの罪は赦された」。その祈りの時々に、主が一回きりで語り掛けてくださる言葉を必死に聴き取りましょう。
それは日常の中で大切な人の心に聴くことです。困難ですが自分の「思い悩み、乱した心」を一旦横に置いて相手の心に聴くとき、本心が現れ、主が共に居て祝福して下さり、未来が見えてきます。
そして主は喜ばれます。「よく聴いてくれた。ここに来てよかった。」
そして気づくのです。イエスさまこそ、ずっと自分の気持を聴き、天で、もてなしてくださっていた、と。