2025年7月13日 聖霊降臨後第5主日(特定10)
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善きサマリア人.David Teniers the Younger. Metropolitan Museum. |
聖書の専門家は無条件の隣人愛を避けようと、イエスさまに問いました。「隣人を自分のように愛しなさい、と言いますが私の隣人とは誰ですか。」敵と味方に線を引き、愛の義務を狭めたいのです。味方は愛しますけれど敵は愛さなくてもいいでしょ、と。
当時のイエスさまたち古代ユダヤ人と、北王国の末裔であるサマリア人とは、敵と味方で殺し合うほど激しく対立していました。
また日常生活でも、いけないことですが、損得勘定で人を分けてしまっているときがあります。あの人は味方、あの人は敵。味方を愛せば得をします。感謝されたり、褒められたり、よくされたりするでしょう。ですが敵を愛しても何の得もしません。それどころか感謝されず、ほめられず、骨折り損をするでしょう。
あるユダヤ人が治安の悪いエルサレムからの道で強盗に合い、半裸で捨てられました。そのままでは死んでしまいます。そこに同じユダヤ人の祭司が来ます。「あぁ助かった、味方の聖職者だ」と思った瞬間、祭司は見て見ぬふりをして通り過ぎました。損得勘定をしたのです。面倒だ、危ない、穢れる。味方じゃない、と。同じようにレビ人も損得勘定をして通り過ぎました。
そして最後に来たのは敵のサマリア人。「ああダメだ、敵だ、絶対助けてくれない」と諦めた瞬間、その人は敵と味方の損得勘定をせず、はらわたからの憐みに突き動かされ、近寄り、薬を注ぎ、包帯をし、ろばに乗せ、宿屋へ連れ、一晩中介抱し、銀貨を二回も払って更なる介抱を主人に頼んだのです。
イエスさまは問います。「誰が隣人になったか」「助けた人です」「行ってあなたも同じようになれ」。
隣人とは「損得勘定で決める相手」ではなく「あなたがなる存在」だと。人について損得勘定をせずに、その人を助けるとき、私たちは「隣人になる」。そのとき始めて私たちは、あくせくした損得勘定から自由になり、救われます。
私たちが神の敵であっても、イエスさまは私たちのために死に、隣人となってくださいます。この「隣人」と共に、損得勘定から自由になり「隣人」となりましょう。
あなたのために『隣人となって』与えられた主イエス・キリストの体。