主の平和を与え合う 「あなたがたの願う平和はその人にとどまる」ルカ10・6

2025/07/04

平和

2025年6月29日 聖霊降臨後第3主日(特定8)

「白い磔刑」マルク・シャガール,1938年.Art Institute of Chicago, Chicago.

本日の「平和の祈り」では愛美さんが伝承者として寿子さんの被爆体験を分かちあってくださいます。偶然か必然か聖書は平和についてです。

平和とは何でしょうか。やはり具体的に、停戦、そして戦争がない世の中です。

しかしそれではトランプの「力による平和」でもよいのでしょうか。日本聖公会も戦勝祈願した大東亜戦争もまた、力によるアジアの平和が「大義」でした。それは、やなせたかしさん、が言うところの「逆転する正義」でした。人間の正義と平和は危ういのです。

クリスチャンの私たちにとって平和とは、ただ戦争がないことだけではなく、もっと深くて大きいものです。それはアメリカの平和でも、どの人間の平和でもなく、主の平和、神の国、神の支配です。そしてこの主の平和は戦争についてだけではなく、人の心も体も魂も人間関係も含めた人間の全ての側面における救いです。だから病や怪我の癒しも主の平和であり、悔い改めた人の罪が赦されることも主の平和ですし、悪が正しく裁かれることであったり、死からの復活も含めて「主の平和」です。全人類が全ての面で救われることが主の平和なのです。

主の平和はただの願いを超えた実在する「存在」です。神の存在です。だから主の平和を生きる人は主の平和を人に与えることができ、「あなたがたの願う平和はその人に留まる」(ルカ10・6)のです。

そして主の平和をもたらすのは軍事力ではなく、無力な十字架です。このお方が復活させられて平和の源となりました。人間ではなく神の力によって平和が与えられます。軍事力なしで国際平和が成り立つと妄想することが信仰ではありません。ですが人間の力と力の衝突を超えた次元で、神の無力が支配する平和が来ると信じる。それが私たちが待ち望む世の終わりです。神の国です。救いです。

シャガールの「白い磔刑」のようにイエスさまは、すべての戦争において、傷つけられ苦しめられ死んでいく側にいます。だからこそ復活するときには、その無力さで世界を支配する主の平和を与えます。

聖餐式の「主の平和」では、互いに主の平和を与え合い、平和を生きる人になります。そしてどんな小さな場面でもよい、力に負けない主の平和を与えましよう。自分の中の主イエスさまを与えましょう。

「主の平和!」


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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