今、私の旅について来い 「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」ルカ9・62

2025/06/27

エリヤ 召命

2025年6月29日 聖霊降臨後第3主日(特定8)

The Man at the Plough (L'homme à la charrue) James Tissot.1836–1902

厳しすぎる。できない。そんな人にはついて行たけない。

エリヤが旅の途上で弟子となるエリシャを召したとき、エリシャは牛に鋤を引かせて畑を耕していました。その時は師匠に従う前に両親に分かれを告げることが許されました。

しかし今、イエスさまはご自分の旅について来る決心を、家族に別れを告げることよりも、父親を葬ることよりも優先させました。エリシャの姿を念頭に置き「鋤で耕し始めた農夫が後ろを振り返れば、その道筋は歪んでしまう」と。今、真っ直ぐに私だけを見てついて来い。十戒も命じた父母を敬うことよりも、家族よりも、私の旅について来る決心を、いま、しなさいと。

これはカルトのように社会の全てを拒否する禁令を出したのではありません。この世のどんな責任を負っていようとも、主が決めるその時には「今、私はイエスさまに従う」という決心をしなさい、と。イエスさまについて行くこと、従うことは切迫した、緊急の決断です。「一年後では遅い、明日では遅い、今日、いま、私に従いなさい」と。

実際には、私たちは父母を丁重に弔い、家族を大切にいます。しかし本質的に一番大切なのは「今、主イエスさまに従う決断」です。

私にとってそれは神学校に行く決心でした。資格を取ってしばらく働いてから牧師になろうと考えていた私に、恩師は「資格なんて要らない。今、神学校へ行け」と言われました。そして私は鏡に映る自分に見つめられて、その切迫性を感じました。「いましかないのだ。」

皆さまにとって「今しかない」と決心したのはいつでしょうか。洗礼や、堅信を受けたとき、結婚を決めたとき、人を赦したとき、困難にあっても希望を捨てないと決心したとき。そのような決心のときを通して、イエスさまは「今、私の旅に付いて来い」と呼びかけてこられます。躊躇せずに付いて来い、と。

そして私たちがついて行くイエスさまの旅は、罪の赦しを実現するために死んで復活する旅です。イエスさまこそ家族よりも何よりも、神の赦しを求める決断をされました。それだけ緊急の事柄なのです。

旅路を歩むイエスさまの背中だけを見て付いていきましょう。

「今、私について来い。そして私と共に赦しを実現しよう。」




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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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