2025年8月10日 聖霊降臨後第9主日(特定14)
「契約」、Seiger Koder. (カトリック司祭) 作 |
先週の「財産を施し、与えなさい」という教えの続きです。
常識では色んな恐れや心配があります。貯金は、家は、車はあと何年もつか。健康は、老後は、介護は、子どもらは、人間関係は。施しどころではありません。古代の庶民はもっと基本的な食料と衣服について心配しました。
しかし「非常識」にもイエスさまは「恐れず施せ」と命じます。その背後には生き方、信仰があります。それは「父は必ずあなたが必要なもの、いやそれどころか神の国をも喜んで与えてくださる。」という「与えられる確信」です。
これはアブラハムが星を数え、子孫が与えられる約束を信じた生き方です。またヘブライ書が「望んでいる事柄を確信し」と表現した信仰生活です。人生の必要と神の国は必ず与えられる。この確信から、与える生き方を選ぶのです。
平和について言えば、神の国とは神が与えるものですが、「神国日本」は人の命を要求する怪物です。神の仮面を被り、国民を騙した偶像です。平和は戦争で獲得するものではなく、武力を委ねた向こう側に、神から与えられるもの。与えられる確信が、平和を呼びます。
最近やっと私は寝る前にその日の感謝を数えるようになりました。以前はどこか自力で働いて、一日の終わりに感謝などせず、そこで「こと切れた」ように寝ました。しかし自力の働きを超えて父は「喜んで神の国をくださる存在」。すべては父から私に与えられたギフトです。確信があるから感謝し、感謝すればするほど、確信は強まります。
イエスさまは、復活が与えられる約束を確信して死に、そして復活しました。約束が実現し、復活した主は感謝に溢れたことでしょう。
「小さい群れよ、恐るな」。財政と信徒数を真剣に悩みつつ、父は喜んで神の国を与えてくださると確信し、感謝の聖餐を献げましょう。そこで私たちは「み国の世継ぎであることがいよいよ明らかに」されます。確信が与えられます。
「与えられる確信を持ち、与えられたものを感謝し、与える生き方を選ぼう。私と共に、確信して。」