2026年6月7日聖霊降臨後第2主日(特5) 聖餐式
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| James Tissot.マタイの家での食事, 1886–1896. ブルックリン美術館 |
うつ当事者のグループには、働けない、動けないことで「自分はダメだ」と思い込む人が多く来られます。自己肯定感の低さに苦しまれます。
今日の福音書では社会に「お前はダメだ」と否定されても、それでも諦めずに主に頼る人々が3人登場し、主は彼らを受け容れます。
まず徴税人マタイ。ユダヤ人でありながらローマ帝国の徴税権を買い上げ、高い税率を上乗せして同胞から金を巻き上げる悪人です。ローマの異邦人と接しているので宗教的にも汚れています。しかし主イエスさまはこの罪人に「来い」と呼びかけ12使徒にしました。マタイは「こんな自分なんて」と言わず「こんな俺でもいいんだ!」と喜び、主に従いました。そしてイエスさまは悪人、罪人たちと食事を共にしたのです。一大スキャンダルです。
それを宗教指導者のファリサイ人が非難します。「なぜ罪人から距離を置かず、食卓を共にするのか。」それにイエスさまはホセア6:6で答えました。「私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない」。ホセアは8世紀の北王国の人々が、アッシリアとの戦争に負けてもなお、形式的な礼拝で事足りると考えていたことを批判しました。「慈しみ深い私と結ばれない礼拝は、たとえ正しくても、無意味だ」。
この預言をイエスさまは宗教的・倫理的に「正しい」ファリサイ人たちに対して言いました。丈夫な人でなく病人のため、正しい人のためでなく罪人のために私は来た。私の慈しみは正しさの枠を超えると。
同様に12年も出血していて、律法で「汚れた」とされた女性も諦めず主の服の裾に触れました。「あなたの信仰があなたを治した。」主は彼女を慈しみ癒しました。
娘に死なれた指導者も「もうダメだ」と諦めず主に頼りました。すると死者に触れる汚れを厭わず、主は手を取って娘を生き返らせました。慈しみが正しさを超えました。
イエスさまの内に現れた神は「正しさ」から離れた人をも慈しむお方です。悪人、罪人、病人、死者、、、。そんな人たちを神は受け容れます。そして人の弱さや罪や死の力を自ら受けて死に、復活して神の前に「義しい」存在にしました。 (ロマ4:25)「それでもあなたは素晴らしい!」そう宣言なさるのです。
自己肯定感の低い人に神の愛を伝えましょう。「イエスさまは丈夫な人のためにではなく病人のため、正しい人のためではなく罪人のために来られた。そしてそのままのあなたを受け容れて下さるんだよ。」

