2026年4月5日 復活日
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| William Holman Hunt “Christ and the two Marys.” 1847.Art Gallery of South Australia |
高校時代に私は同級生を酷く傷つけました。謝りました。今でも悔いています。もう口を聞いてくれないだろうと思いました。ですが彼は、忘れられない傷や怒りを心の内でどうにか処理し、私に普通に接してくれました。それは、勝手なことかもしれませんが、赦しに感じられました。
創世記でイブは神を捨て、善悪の知識の木から食べ、神にとって代わろうとしました。罪とは自分を愛する神を裏切り、捨てることです。
受難物語ではユダもペトロも他の弟子らも皆イエス様を裏切り、見捨てました。そして神の子は渡されて殺されました。墓に葬られました。
この時点で弟子たちは猛烈な罪責に苛まされたはずです。自分たちが「命の導き手」を殺してしまった、と(使3:15)。たとえ死んで天国でイエスさまにあっても、とても合わせる顔がない、と。
しかし三日目の朝、イエスさまは復活してまず女の弟子たちに会います。彼女たちも主の怒りを怖がったと思います。しかし主は優しくこう言われたのです。「おはよう」。まるで見捨てた裏切りをどうにか処理した、帳消しにし、克服したかのように普通に接したのです。そして彼女はこの「おはよう」を男の弟子たちに知らせました。
「自分たちが裏切って殺した先生が生き返った。死は帳消しになった、先生を死に追いやった自分の過ちも帳消しになった。神を裏切り、見捨てた罪はもう処理された。赦された。十字架は赦しのためだった!」
そしてこの「おはよう」は日常に戻るのではなく、新しい創造です。マグダラのマリアに告げられた復活の赦しは、神を捨てたイブの子ら全人類を造り直します。決して神を捨てず、神に結びつき、今度は自分たちが人の過ちを赦す、「赦しの子」に創り変えていくのです。
復活は神が罪より強い証拠です。私たちの罪は主イエスの墓穴に葬り去られました。命の勝利者だけが墓から出て、私たちを赦し、赦しの子にしてくださいます。さぁ皆さま、集い、祝いましょう。復活の赦しを!

