2026年4月12日 復活節第2主日 聖餐式
![]() |
| James Tissot.「トマスの疑い」1886-1894.ブルックリン美術館, ニューヨーク. |
自分はありのままで、良い存在なのか。赦された存在なのか。私たちが赦しの証拠を求めるとき、主は必ずそれに答えてくださいます。
トマスは熱血漢でした。イエスの殺害計画が迫るなか「私たちも一緒に死のう!」とまで言った人です。またイエスさまに「私が道、真理、命だ」と言われ「この人こそが真理と命の道だ」と知っていました。
しかしトマスは裏切りました。一緒に死にませんでした。真理と命の道を歩みませんでした。その結果、愛する先生は引き渡され、十字架に釘付けにされ、槍で脇を刺され、殺されました。「あぁ自分は愛する人を裏切って殺した。赦しはもうない。」そして他の弟子からも遠ざかっていました。
そんなとき、先生が復活してほかの弟子たちに会いに来たと聞きます。幽霊になって復讐するのではなく「おはよう」「平和があるように」と赦したと。そして赦しの聖霊を吹き込んで、赦しの教会を始めたと。
それを聞いたトマスは自分も赦しの確信、しるしが欲しいと願いました。「この手を脇腹に入れて」自分がつけた傷が癒えているのを確かめなければ、赦しを信じない、と。トマスが求めたのは復活だけでなく復活がもたらす罪の赦しでした。
その求めに応えてイエスさまはトマスに会いに来ます。そして繰り返します。「平和があるように。」そして癒えた傷を見せ、トマスの手を取って言うのです。「あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。」「あなたの裏切りの結果の傷は癒えた。だからあなたの罪はもう良いのだ。赦されたのだ。復活して生きている私が赦しの証拠だ」。
答えてトマスは神を告白します。「私の主、私の神よ」。トマスにとって神とは裏切りを赦す存在です。自ら人の罪を受けて死に、復活して罪を癒し、消し、赦す存在です。
赦しの証拠を求めましょう。そうすれば主は応えて毎主日、聖餐で体を触らせ、赦しの血を飲ませ、私たちに赦しを確信させられます。
「私は生きている。さぁ私の癒えた体に触れなさい。そして赦しを確信しなさい。あなたが付けた私の傷はもう癒えた。罪はもう消えた。私はあなたを赦した。それほどあなたは私にとってかけがえのない、素晴らしい、愛しい存在なんだ。」
_-_James_Tissot.jpg)
