2026年4月19日 復活節第3主日 聖餐式
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| 「5千人の養い」アルメニア写本,1433頃. |
教会生活に喜びがなく、望みもなく、聖書もピンとこず、まるでクリスチャンであることを忘れてしまったようになってしまう時があります。それは復活したイエスさまがすぐ近くに共にいることに「目が遮られている」時です。
ルカ福音書のエマオ物語では、クレオパ夫婦は絶望と困惑の只中にいました。「力ある預言者」としてユダヤ独立の「望み」をかけていた先生が十字架刑で殺されたのです。彼らはまるでイエスさまに出会わなかったかのように、以前の生活への帰路についていました。
そこに復活したイエスさまが現れ「一緒に歩いて行かれ」ました。主は絶望を共に歩んでくださる存在です。しかし二人の「目は遮られていて」気づきません。二人は「暗い」顔をしてイエスの死を説明し、また「イエスは生きておられる」という女弟子らの言葉を伝えます。
するとイエスさまは「愚かで心が鈍いものよ」と叱咤しつつ、それでも歩きながら「苦難の僕」を中心に聖書を語り「メシアは苦しんでから復活・昇天することになっているじゃないか」と励まします。つまり苦しんで死んだそのメシアは今も生きているはずだ、と。その時クレオパたちの心は燃えていました。「主は今も生きている」という喜びで。
クレオパたちが気づいたのはイエスさまを引き留めた夕食の席でした。客人のはずのイエスさまがホストのようにパンを取り、祝福して裂き、二人に渡しました。その動作がイエスさまがパンを裂いて5千人を養った奇跡を思い出させたのです。命に溢れ、ご自分の無限の命を与える姿です。その姿が二人の「目を開き」、イエスさまは今、目の前にいると悟らせました。死んだのに復活し、今、永遠の命に生かされている。イエスさまは生きている!
まるでこの世的な目では捉えられないかのように、イエスさまはその瞬間に消えました。しかし「イエスさまは今も生きている」と知ったクレオパたちの人生は180度変わりました。エルサレムへ舞い戻り、弟子たちにその出会いを知らせ、初代教会の一員となり、世界の果てまで主が生きていることを知らせる旅に出たのです。聖霊によって。
喜びがない時こそ「パン裂き」に集まりましょう。主は私たちの魂の目を開き、ご自分の命で私たちを養う姿を見せてくださいます。
「私は今あなたの目の前に生きている。5千人の養いの日のように、私の命であなたを養う。」

