肉眼でありありと 「ほかならぬこの目で見る」 ヨブ記19・27

2025/11/08

ヨブ 葬送 復活

 2025年11月9日 聖霊降臨後第22主日(特定27)

William Blake.”The Vision of Christ,”The Book of Job. 1805-1810. The Morgan Library & Museum.

 生まれた息子と初めて目を合わせた時、私は「生きててよかった」と思いました。笑顔で話す母の目を見て「生きていてくれて嬉しい」と思います。見つめ合うことは生きている喜びを鮮明に感じさせます。だから「もう見つめ合うことができない」死は悲しいのです。復活はこの肉眼でありありと見つめ合う喜びを回復すものなのです。

 ヨブ記のこの箇所は葬送式で読まれます。ヨブは「義しい人」でありながら財産と家族と健康を奪われ、酷い皮膚病に苦しみ、友人から責め立てられていました。そんななかで彼は「死ぬ前にこの目で神と見つめ合い、自分の無実を訴える!」と叫んだのでした。そして実際に嵐の中で、肉眼でありありと、神と見つめ合ったというのです。

 ここには「今ここでこの身をもって生きている自分」として神を見る希望、愛する人と見つめ合う希望があります。「この身この目」とヨブが自分の身体性を強調するように、復活は死後の世界の非物質的な幻ではなく、自分の肉眼でありありと見つめ合う生きる喜びです。私たちはヨブのこの希望を復活信仰として受け継ぎます。

 復活信仰の根源は主イエスさまの復活です。主は十字架刑のあと復活し、弟子たちに現れ、肉眼でありありと弟子たちと見つめ合いました。お互いにどれだけ嬉しかったことでしょう。死を超えて「今ここで」生きている喜びが教会の初めです。

 ヨブのように今この世で見つめ合えなくとも、死んで骨が土に返って何億何兆年経っても、復活の日私たちは、人知を超えた新しい、しかし「ほかならぬこの目で」見つめ合います。神とそして愛する人と。この世で愛する人と見つめあった事実は決して失われません。復活の日に再び見つめ合い、喜ぶのです。

 葬送式でこの聖句を聞く度に神が、あの人が、再会の希望を語るのを聴きとりましょう。

「復活の朝、肉眼でありありと、見つめ合おう。そして喜び合おうよ。生きててよかった!」


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