2025年11月2日 諸聖徒日聖餐式・逝去者記念の祈り
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| ロサンゼルス大聖堂. 南壁タペストリー. | 
ここでの「泣いている」は死を悼む涙です。あの人に会いたい、触れたい、話したい、笑い合いたい。特に笑い合うことは相手が「今ここに」いないとできないことです。不在感が大きいと寂しくなり、泣けてきます。
しかしイエスさまは笑いを約束します。神の国が完成する日、あの人もあの子も私も皆、復活して抱き合って再会を喜ぶ。そして顔を見て話して笑い合う。微笑み、談笑、爆笑、泣き笑い。涙は笑いに変わる。神の国は笑いに満ちた交わりです。諸聖徒日の聖餐式はこの笑いの交わりの、この世での前触れなのです。
私たちは交わりを生きることができます。一足先に神の国に入ったあの人との交わりを今ここで。寂しくて泣けてくる日も、あの人は今は神の国で笑っている。その笑顔が私たちを励まします。「ねぇ、笑ってよ」
そして笑いの交わりはあの人との一対一の関係だけではありません。周りには沢山の家族、教会の兄弟姉妹、諸聖徒、聖人らが笑っていて、私たちはその大きな一つの笑いの交わりを生きているのです。死んだ魂は既に諸聖徒(聖人)と共にいます。
聖パウロや聖ザビエル、聖ルドビコ茨木、聖パウロ三木、ウイリアムズ主教、U司祭やダビデT主教、今日納骨する聖マルタTさんやルツEさん。大きな一つの信仰者、聖徒の交わりが笑っています。彼らの喜びであるイエスさまが共に笑っています。主の復活によって生死の溝を超え、聖霊によって個人の壁を超えた笑いの交わりです。
聖徒の交わりは祈るだけでなく生きるもの。「もっと生きたかった」あの人の分までよく生きましょう。「もっと笑いたかった」あの人あの子の分までよく笑いましょう。今泣いていてもいい、それでも最後はイエスさまと一緒に信仰と希望と愛をもって、笑って生きる。それが愛する人の逝去者記念です。
あの人は笑って言われます。「生きて欲しい、笑って欲しい」
