自信から憐みへ 「神さま、罪人の私を憐んでください」ルカ18・13

2025/10/25

イエス 自信 憐れみ

2025年10月26日聖霊降臨後第20主日(特定25)

「ファリサイ人と徴税人」 1973年. カメルーン.

私は、真面目過ぎるほどに「よい」牧師になりたいと願ってきました。「よい」働きをしたいと努力してきました。一人で祈り、人と共に祈り、聖書を読み、聖餐式を信じ、病気の人や施設にいる人を訪ね、教会に仕えてきました。特にみ言葉を伝える説教の働きを大切にしてきました。主イエスさまに生涯をかけてきました。

しかし、真面目に生涯をかけてきたからこそ、自他に厳しくなってしまいます。そして少しでも良い働きができないと自信を失い、自分の価値、存在の「よさ」を疑いがちです。

そう思うとこの譬えのファリサイ派の人が自分に思えてきます。彼は神の言葉をよく読み実行します。搾取、不正、姦淫を遠ざけ、十分の一献金を献げ、週に二度も断食します。真面目で「よい」先生です。神さまに生涯をかけています。徴税人を直接断罪するのではなく、そうでない自分を感謝する。見方によれば、素晴らしい姿勢です。

ただその信仰は「自分のよさ」に頼る自信です。「うぬぼれる」の原典は「自分に頼る」です。自分の価値は良い働きにある。だから自信の基盤となるよい行い、よい生活、よい働きに真面目に努力します。そして自他に厳しく「よくない」人を裁くのです。

それに対して徴税人は、ローマ帝国から徴税権を買い、好きなだけ同胞から金を巻き上げてきた、搾取と不正だらけの、大金持ちの悪人です。神の前で何も自慢できることはありません。

でもこの悪人もまた神殿に祈りに来ます。「よい」先生から遠く離れ、胸を打って自分を恥じ、それでも神の憐れみを信じて自分をさらします。「神さま、私を憐れんでください。」

ここでイエスさまは譬えを終えて宣言します。「義とされたのはこの人であってファリサイ派の人ではない。」悪人は自信ではなく神の憐みに頼ったからです。

ではイエスさまはどうだったのでしょうか。自信満々に十字架へと向かったのでしょうか。いや、自信なく、ただただ父の憐みに頼っていかれたのではないでしょうか。十字架の杯を飲む自信がなかったからこそ「取り除けてください」と祈りました。しかし憐れみに身を委ねて「みこころがなりますように」と祈ったのです。

人生の旅が深まるにつれて私たちは、自信によって歩む段階から、神の憐れみによって歩んでいく段階に入っていくのだと思います。

「自信ではなく憐みによって、この世が知らない力によって、生きていこう。私と一緒に生きていこう。神の国に入っていこう。」 

そういえばあまりにも真面目すぎる私に主治医がいつも言ってくれていました。「荒木さん、『ダメ牧師』でいなさいよ。そのほうが牧師らしいんだから。」 私は少しは牧師らしくなったでしょうか。ぜひあなたも「ダメ・クリスチャン」でいてください。自信満々ではなく、主の憐れみに頼るクリスチャンに。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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