2025年11月9日 聖霊降臨後第22主日(特定27)
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カンタベリー大聖堂を見上げてT主教さんはこう言われました。「一回これをぶっ壊さなあかんのとちゃうか。」中世教会の莫大な力に目を奪われず、貧しく生きたユダヤの大工を見よ、と。
教会指導者についても同じです。京都事件の加害者Hはとても巧みな説教者でした。力ある説教で、私を含め信徒は「感動」していました。しかし実際の彼は性犯罪者だったわけです。簡単に感動させられる説教は眉唾物です。その力で幼子を騙し、仲間を作り、自分の罪を覆い隠すのです。
ルカ福音書の時代も同じでした。起源70年にローマ帝国によってエルサレムが滅ぼされるまで、15人もの「偽キリスト」が現れたと言います。「私についてくれば力を得る。戦争に勝てる !」と。
だからこそルカ福音書のイエスさまは言うのです。「惑わされないように気をつけなさい。」(21・8)
なぜ惑わされるのか。それは自分の弱さを受け容れられず、強くなろうとして力を欲するからです。その力で自分自身を覆い隠そうとするからです。そしてこの偽の力を得させるのが偽の指導者なのです。
ルカ福音書のすぐあとに書かれた文書「十二使徒のディダケー(教え)」には偽指導者を見分ける方法が書かれています。それはどんな雄弁で感動的な言葉ではなく「行い」、「主の生き方に添う者」こそが真の指導者だ、と。
イエスさま自身がそうでした。その譬えは謎で分かりにくく、弟子への要求は厳しく受け入れがたく、宗教指導者から嫌われ、弟子たちには見捨てられ、十字架刑で弱々しく死なりました。しかし復活後に分かるのです。あの生き様こそが、私たちを愛して自分の命を与える神そのものの姿だったのだと。
「新しい契約の血」は「罪の赦しを得させる」血です。弱く罪を犯してしまう者のための血です。
「力に騙されるな。強くならなくていい。弱いままのあなたと私は共にいる。私の生き方に添う者になれ。力強い者ではなく、弱き者をこそ愛する神の生き方に添う者に。」

