2026年10月25日聖霊降臨後22主日(特25)聖餐式
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| ペーター・ルーベンス.「最後の晩餐における聖餐式の制定.」1632,ブレラ美術館,ミラノ. |
スマホの通知が、便利ですが、苦手です。ニュースやSNSは切りましたが、それでもLINEやメッセージが入ると気が散ってしまい、何をしていたのか忘れてしまいます。
人生も似ています。色んな仕事や問題、心配や悩みの中で生活していると気持ちが分散されて、元々の目的を見失うことがあります。「あぁ私は一体何をしてるんだ」と。
当時の信仰生活もそうでした。合計613の戒めが生活を縛り、元々戒めが何のためにあって、何のために生きているのか分からないほどに、信仰生活が分散していました。その状況から律法学者はイエスさまに罠をかけたのです。「どの戒めが最も重要ですか。」(35)
イエスさまの答えは信仰生活の真髄を表します。ユダヤ人が毎日唱える「シェマー(聞け)」の言葉です。「すべての心で、すべての魂で、すべての思いで、あなたの神である主を愛しなさい。」(37直訳)自分の「すべての心と魂と思い」を一つに集めて、集中して、一つになって、自分を造られた神を愛する。ここには分散も分裂も、困惑も自失もありません。すべてを一つの愛として、出し惜しみせず注ぎ出して、注ぎ尽くして、神に向かうのです。
この前提が「シェマー」の冒頭、「主は唯一の主」です。自分を一つにして神を愛するのは、神がすべての側面で唯一の神だからです。
だからイエスさまが独創的にこの「一つの愛」と一体化させたのが、自ら進んで他者の隣人となる「隣人愛」です。(ルカ10)神愛と隣人愛は違う方向にあるのではなく、同じ出来事です。神への方向も隣人への方向も、唯一の主に治められている。だから愛は一つです。隣人愛のない愛は偽善であり、神を愛さない愛は根拠を欠きます。隣人の中に神を、神の中に隣人を愛するのです。すべては唯一の神への一つの愛に集約されます。
これはどれだけ幸せな人生でしょうか。その人の全ての側面は神を愛する一つの愛となり、一つも無駄になることなく、燃え始めます。
この愛を可能にするのが「ダビデの主であるメシア」イエスさまです。この方は神を裏切ったイスラエルの民の心を一つにし、人類の愛を一つにし、主なる神を愛し、神と人を一つにします。私たちはこのお方に与かることで、最終的には、神と一つになるのです。
「私たちは多くいても一つの体です。」私たちを一つに集める主の声を聞きましょう。「私と一つになり、人生を一つの愛にして、唯一の神を愛そう。そして燃えて、輝こう。」

