2026年10月18日聖霊降臨後21主日(特24)聖餐式
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| パナギア・アヒロピイトス聖堂、テサロニケ、5世紀 |
信徒が減っていく。この厳しい現実を前に私たちは考えます。そこから素晴らしい行事を実行する喜びも出てきました。しかしそれでも「何が悪い、誰が悪い」と誰にぶつけるべきか分からない不平不満が湧く時があります。人間の視点から見た教会観ではそうなります。
それに比べてパウロがテサロニケ教会を見るとき、彼は神の視点から見ます。神さまの教会観を語ります。教会は父とキリストの「内」にあり(1)、人間ではなく神が主導権を握っています。私たち人間が教会を選んで通っているだけではなく「あなた方は神に選ばれて」教会になった(4)。聖霊が働いて人は喜んで信じるようになった(6)。そして神の言葉は人を通して地域に「響き渡ります。」(8)だから彼は神が働いたことを「感謝」します。(2)
神が働けば、何もかも上手くいくのではありません。神の働いた証拠は逆に「苦難」にあります(6)。テサロニケ伝道は厳しい迫害と苦難に遭いました。ユダヤ人とギリシャ人は暴動を起こし、パウロたちを泊めていた「ヤソン」の家を襲い、パウロらは夜陰に乗じて街を逃げ出しました。そんな街中の敵意の中で「あなたがたは多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみ言葉を受け入れ、私たちと主に倣う者となりました」(6)と言います。
つまり厳しい苦難の現実の中でこそ聖霊が働き、教会は喜びをもって、死んで復活したイエスさまを信じた。そうしてイエスさまの苦しみを通して新しい命へと至る道に参加する。人間の厳しい現実に不平不満を言うのではなく、その中で神の働きと存在を信じて、イエスさまとの一致を喜んだのです。
大津聖マリア教会の信徒も同じです。信じる人の内には神が居て、働いています。そして厳しい現実の中にあっても、喜びをもって死と復活の主を受け入れさせてくれます。私たちは「エクレシア」です。毎主日、キリストを知らない世間から呼ばれて教会に「集められた」民です。神の命を表す使命を帯びた新しいイスラエル、キリストの体です。これは徹頭徹尾、神さまの働きです。自分たちの内に神さまが働いている。イエスさまがいて一緒に父に感謝と賛美を献げている。この喜びあって、信仰は伝わります。
不平不満の人間の視点ではなく、神の喜びの視点で教会を見よう。聖餐共同体を見よう。そして主の声を聞こう。「現実がどれだけ厳しくても忘れるな。私はあなたの内にいる。働いている。喜んでいる。」

