2026年9月27日聖霊降臨後18主日(特21)
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| The Antioch chalice. 5世紀. |
ぼーっと考え事をしながら妻の話を聞いていると「聞いてない! もういい!」となります。逆に「分かち合い」で懸命に聴いている間は、自分のことは考えていません。相手の気持ちで満たされています。傾聴は自分の思いに固執せず、空になって初めてできることです。
パウロはフィリピの信徒に「同じ思い」で一致して欲しいと願いました。(つまり一致していない現状がありました)それは「へりくだり」です。自分の「野心や虚栄心」ではなく、互いを自分より優れた者とし、他者を優先する姿勢です。
ただしこの「へりくだり」は「自分を抑えて控えめに行動する」といった一般的な謙遜ではありません。この世の知恵ではありません。神との関係です。これはイエスさまの弟子としてイエスさまに従う生き方です。もっといえば、この世を超えて、神の本質に一致する生き方、神との関係を豊かにする生き方です。神とは「へりくだり」そのものだからこそ、あなたたちもこの神のへりくだりを、生きなさい、と。
神のへりくだりとは、自分に固執せず、相手に自分を注ぎ出して、空になって、相手を受け入れる愛のことです。それは「ケノーシス(自己無化)」と呼ばれます(2:7)。
初代教会の「キリスト讃歌」ではキリストは神でありながら、それを「強奪品」「固執する物」とせず、自らを無にして、空にして、注ぎ出して私たち罪深い人間と同じ姿になりました。(6-7,ロマ8:3)このへりくだりが神の姿です。アダムは神の力を握りしめましたが、第二のアダムは神の形を手放しました。そして愛の使命に従順に、全く空になって、注ぎ出して、十字架で命を手放し、命を与えました。
その生き様が神と一致しているからこそ、主は復活し、昇天し、天地の全ての存在が父と子を賛美しています。栄光を捨てたお方に、栄光が帰せられたのです。
この偉大な神さまの「注ぎ出し」を小さい日常の中で生きましょう。その一つが傾聴です。まず自分を注ぎ出して空になり、相手の思いを聴いてみましょう。自分が空になっているなら、自分にとって都合の悪い話もすぐに拒否せず聞くことができます。相手を受け入れます。空になって聞くことで、命を相手に注ぎ与えることになります。
聖餐で空になる聖杯のうちに主の声を聞きましょう。「空になってもいいじゃないか。空になって相手を受け入れたなら、注ぎ出したあなたの命は相手を養うんだ。心配いらない。疲れ果てたとしても、私が必ずあなたを受け入れるから。」

