2026年3月8日大斎節第3主日 聖餐式
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| Henryk Siemiradzki: Christ and Samaritan woman.1890. Borys Voznytsky リヴィウ国立美術館. ウクライナ. |
毎週、さも「満たされた」ような顔で司式説教していますが、本当は魂から渇いています。「私のために死んだ」主イエスさまの確信を渇き求めています。真の伴侶がいつも共にいてくださる喜びの実感を渇き求めています。
「サマリアの女性」の物語を聴く体験は、私たちの渇きが潤される神体験です。それは真の伴侶への渇きです。
舞台はヤコブの井戸のそば。昔から人生の伴侶が出会う場所です。
最初は主イエスが私たちに代わって渇きます。「飲ませてください」。すると女性はユダヤ人とサマリア人の敵対関係を持ち出して距離を置きます。「なぜ私に求めるのですか。」
しかし主は「私が誰か知っていたら、本当はあなたが私の水を飲ませてくださいと願うはずだ」と言いますが、女は誤解し「あなたは水を汲むものを持っていないし、私たちの父ヤコブはあなたより由緒正しい」と返します。
するとより深く主は答え「私の水を飲む者は決して渇かず、自分の内に泉となり永遠の命に至る水が湧き出る」と。すると女は魂の奥底に潜んでいた渇きを顕わにします。「飲ませてください!」。対話によって主は私たちの魂の奥底の渇きを呼び起こします。
すると主は「夫を呼べ」と命じ告白させます。「夫はいません。」主は言い当てます。「あなたには5人の夫がいた。6人目の今の男は夫でもない。」離婚か死別(と親族婚)か分かりませんが、女性は5回も別れを経験したのです。どれだけ辛かったか。もう普通の結婚も諦めています。彼女の挫折感と絶望と、この世的な関係を超えた「真の伴侶への渇き」が表出します。
この渇きに対して主はこの世を超える聖霊を注ぎます「今こそ霊と真実を持って父を礼拝する時だ。」そして自らの存在を打ち明けます。モーセに現れたように「私はいるという者」。キリストとは「あなたと話しているこの私だ」。
この日から女性はキリストという真の伴侶を得ました。これまでの全ての過去を知り尽くして慰め、この世を超えて共にいて、その喜びが一瞬一瞬湧く「魂の泉」となってくださいました。
それだけでなくこの女性は「使徒」となり、街の人にキリストを伝えに走ります。「キリストは全てを知りつつ、私の真の伴侶になって下さった。渇きを潤してくださった」。そして女性に聴いて「多くの人が信じた」。その人たちは今度は自らがイエスと対話し、信じます。
「私はいる。私を渇き求めなさい。私はあなたの真の伴侶、魂の泉となり、あなたの渇きを潤し続ける。」

