排斥され... 「私たちに逆らわない者は、私たちの味方なのである」 マルコ9・40

2024/09/25

 2024年9月29降臨後第19主日(特21)聖餐式

アロンソ・カーノル「磔刑」-1665.プラド美術館

 弟子の訓練が続きます。マルコの教会に他のグループの噂が入ってきました。「悪霊を追い出す」というイエスさまの働きが行われているというのです。弟子達は「私たちに従わないので、やめさせようとしました」と言いました。ここでは「イエスさま、あなたに従わないので」ではなく「わたしたちに従わないので」と言っています。自分たちのグループに属さないので排斥しようとしたのです。

 しかしイエスさまは戒めました。「やめさせてはならない。」悪口は言わないだろうし、敵ではないから味方なのだからと。排斥するな。グループ争いをするな。ただ神の愛に基づいて、神の国のために働きなさい、と。

 これは教会間の問題だけではありません。教会内の課題でもあります。グループがある必ず他の人を排斥したり、そこに入れない「小さな者」も出てきてしまいます。「群れたらあかんぞ」と老司祭は教えたそうです。

 これはまた個人の生き方の課題でもあります。私も含め、人を排斥し、否定することでしか自分を支えられない心は、とても悲しい心です。もしかするとそうして排斥しているうちに、人の内に宿られるイエスさまを排斥してしまっているかもしれません。神の愛に基づくとき私たちは初めて人を受け容れ、優しく包み、肯定することができます。

 イエスさまは私たちの誰をも排斥されません。その代償として私たちが人を排斥する心をその身に受け、代わりに「排斥されて」殺されました。私たちが排斥したのです。そうして私たちを変え始められました。他者を排斥せず、受け容れられる人に変え始められたのです。

 「すべての人を一つの体とし、聖霊を満たしてくださる神。」この神は決して私たちを排斥されません。この神の霊に満たされて、人を排斥せず、肯定するように召されています。 「あの人もこの人も、あなたと同じ私の弟子だ。排斥せずに肯定しなさい。一致しなさい。排斥はすべて私が十字架で引き受けたのだから。」




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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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