癒しの物語はときに遠く感じられます。「私には奇跡は起こらないから関係ない」。しかしそれは聖書を自分中心に読むことです。
神さま中心に読ん
でみると、聖書全体
は創造の物語です。創造の喜びから、罪と死の苦しみ、しかし神の民とメシアを通して来る新しい創造の物語です。
そして私たちの時代は「終わりの始まり、新しい創造」の時代です。イエスさまの死と復活を通して神の支配が世界におよび、神が死に勝ち、世界が新しい命に再創造される時代です。
奇跡とはこの新しい支配の表れです。病院では数々の奇跡が日夜起こっています。
そしてここでイエスさま、口が利かない人を癒す直前に「天を仰いで深く息をついた。」新しい翻訳では「呻いた」とあります。癒されたこの人の気持ちでもあり、私たちすべての呻きを集約した呻きです。
癒されたい、苦しみから解放されたい、赦されたい、もう一度会いたい、変わりたい。私たち人間の呻きをイエスさまが共に呻いてくださる。そして復活によって呻きを成就してくださる。これは世界全体の呻きでもあります。(ロマ8・22)
イエスさまの呻き、それが聖霊です。「霊自らが言葉に表せない呻きをもって執り成して下さる。」(ロマ8・26)言葉にできないような苦しみのなかでも、主イエスさまは私たちの内で共に呻いてくださる。神が共に呻いてくださる。何という安心、何という喜びでしょうか。
思い起こすのは、妻が出産時に呻いていたとき、私はただ背中をさすってあとはただ共に呻くぐらいでした。みなさんも、大切な人が出産や病気で苦しんでいるときは、背中をさすったりして、共に呻いてあげるでしょう。「うーん、しんどいなぁ、うーん。」イエスさまはそのようにしてくださいます。
イエスさまが十字架で苦しみ嘆いた姿、それは私たちの呻きを共に呻いた姿です。神の呻きです。その呻きによって復活が起こり、新しい創造が始まりました。
代祷でイエスさまは私たちの真中で共に呻いておられます。その呻きを成就し始められます。そして願われます。あなたたちもまた人と共に呻く者になって欲しいと。
「うーん。しんどいなぁ。うーん。」