Mosaic from the Church of all Nation. エルサレム近郊、ゲッセマネ.Photo by Fr.Lawrence Lew. |
ゲッセマネの園でのイエスキリスト、Church Of All Nation, Gesthemane, Jerusalem.
「神と人への愛」を実行するため十字架への向かう道すがら、イエスさまは律法学者たちを批判されました。
「あなたは、愛の律法、という背負いきれない重荷をまとめて人の方に載せるが、自分ではそれを動かすために指一本動かさない。人に愛を教えながら自分は実践せず、教えた人が苦しむ愛の重荷を助けることもしない。あなたの行いは人への愛ではなく、は人の目に映る自分への愛だ。聖句箱を大きくし、衣服の房を長くし、上座を好み、先生や父と呼ばれる自分を愛しているだけじゃないか」と。
私たちは聖書から、説教者から、教会から「神と人を愛せ」と教え続けられます。愛が大切なことは、もうイヤというほど頭では分かっているのです。ただ、その人を愛する力が湧いて来なくて苦しいのです。誰も愛の重荷を背負う力を与えてくれない。愛することができないという罪に苦しんでいるのです。
しかしイエスさまは言葉だけの律法学者とは違います。「重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私の軛は負いやすく私の荷は軽いからである。」(マタイ11・30) イエスさまだけは愛の律法を教えるだけではなく、十字架でその重荷を一緒に背負って下さいます。愛の重荷を担う力を与えて下さいます。
ゲッセマネでの「わたしの心ではなく、あなたのみ心のままに」という祈りをもって愛せない私たちを担い、愛そのものである神に結びつけて、私たちを愛の人に変えてくださいます。
自ら愛し、愛を教え、それだけでなく愛を担うことを助ける。これが「真のイスラエル」「真の人間」です。このお方に結ばれて、私たちも、他の人が神と人を愛せるように、その人を助けましょう。
「わたしが担ったように、あなたも人の愛の重荷を担いあいなさい。助け合いなさい。」