神さまの手ぬぐい

2023/04/04

聖餐式 洗足式

 「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何の関わりもないことになる」 (ヨハネ福音書13章8節)

2023年4月6日聖木曜日 聖餐制定・洗足聖餐式

Jesus Washing the Feet of his Disciples (Albert Edelfelt) - Nationalmuseum - 1867

「他人が自分の足を洗うなんてイヤ。」そう思うか、礼拝自体に来ない。自然な反応です。

 ペトロも同じことを言ったのです。当時の足は埃まみれ、汚物まみれです。しかしイエスさまは言います。「私が洗わなければ、あなたはわたし何の関わりもないことになる。他人になる。親しい交わりもなくなる。愛しあう関係でもなくなる。」

 洗足式は信頼のテストです。完璧主義の傾向のある私は「自分で何でもできる」と思いがちで、人に頼るのが苦手です。自立、独立していたいと願い、自分を苦しめてしまいます。

 しかし神さまに対して独立していて頼らずにいると、神さまとの親密な交わりを拒絶してしまいます。神さまとの生きた交わりとは、神さまに頼り、人には見せない最もプライベートで汚い部分を見せて赦して頂き、清めて頂く関係です。

 イエスさまは十字架で死ぬ意味を洗足式に込めて残されました。それは奴隷の姿になり、優しく私たちの足を持って、丁寧に汚れを拭うように、ご自分の命で私たちの罪を拭い去ることです。弟子たちは十字架を見たとき、洗足の意味を悟ったのです。それは命を与える愛です。そして復活を知ったとき、命を与える愛の勝利を確信したのです。奴隷になるほど私たちを愛してくださる方、それが私たちの神さまの真の姿だと。

 洗足式によって、イエスさまは愛を残し、伝えられました。自ら奴隷のようになって罪を拭う愛。私たちはこの愛に触れ、この愛と親密な交わりに入り、この愛の働きに招かれます。

 だから愛し合いましょう。神さまの手拭いに、なりましょう。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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