自分を憎む? これは低い自己肯定感? しかし自己肯定感が低いと、ありのままの自分を「良し」として受け容れられない。人に良く思われようとしてストレスになる。そして神さまに愛された自分を忘れてしまう。そんなことをイエスさまが命じるわけはない。
ここでの「憎む」は他人と見比べて「自己肯定感を低くせよ」ことではない。「あとまわしにする」ことだ。イエスさまだけを見て、人や家族や自分より神を優先させる覚悟のことだ。
直前の「妻がいるからと神の宴会を断る」人や、直後の「塔の建設費用の計算」や「戦争に入る兵力の計算」の譬えもあとまわしにする覚悟を要求する。
だから「あとまわし」にするとは「主に委ねる」ことだ。愛なる神は必ず人と家族と自分を救い、新しくして下さる。そう信じるからこそ覚悟できる。
それでも覚悟しきれないときは深く悟ろう。ご自分を「あとまわし」にして命を与えられたイエスさまが、まず覚悟されたと。そして今も私たちの中で、私たちに代わり、私たちのために覚悟して下さっていると。
「一緒に覚悟をしよう。家族も自分もあとまわしにして。そうすれば私を復活させた父が全てを救って新しくして下さる。そしてあなたは自分を全肯定できるようになるから。」