今頃私は、疲弊した自分の祈りをどうにかしようと、ただ静かに坐り続けているでしょう。ローマカトリックの修道院ですので聖餐は受けられません。皆様も、司祭不在で御言葉の礼拝ですので、聖餐がありません。毎週変わらず養われる聖餐。聖餐が無いこの日を逆に良い機会として、ぜひ黙想しましょう。自分は一体何に飢えているのか。聖餐の養いとは一体どんな恵みなのか。イエスさまは問われます。「あなたがわたしを求めるのは満足のためで、奇跡を通してわたしが神だと信じるからではない。」ドキッとします。イエスさまご本人より、自分の満足体験を求めている自分。愛される体験、恵まれる体験に飢えている自分。そんな我執から出られません。イエスさまは語りかけます。自分の満足よりわたしの満足、わたしの存在を求めなさい、と。
そしてどんでん返しが用意されています。自分の満足を求める限りその飢えはいつまで続く。しかし自分の満足体験を捨ててキリストご自身を信じるなら、もう二度と飢えることのない命が与えられる。だから自分の体験を超えてわたしを信じなさい、と。
