「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」ヨハネ福音書6章51節 (B年特定14)

2015/08/09

 先週は皆様も私自身も聖餐なしで過ごしました。み言葉の恵みと共に、聖餐への飢えを感じられたでしょうか。天からのパンを食べたい、イエスさまの体と血に与りたい、神の命に交わりたい、と飢える心です。
 飢えといえばイスラエルの民の荒れ野での飢えを想像させます。8月の日本はまた、原爆と終戦を想う時です。70年前、今では想像し難い食糧難と飢えが、戦争を生き残った人に課せられました。食べなければ痩せこけていずれ餓死してしまう。命に関わる重大事です。必死になって不平を募らせ、祈ったことでしょう。古今問わず、飢えを通して人は「命の糧の与え主」を知ります。
 しかしイエスさまは肉体の飢えが満たされる以上のものを約束されます。「何度食欲と肉体が満たされても、その人は必ずいつか死ぬ。しかしわたしは、あなたが死を超えて生きられるように、天のパンを与える。そのパンはわたし自身の命だ。永遠の命であるわたしは、あなたと同じこの世で肉体となり、あなたの罪と死を全部背負って十字架で死んだ。それは全部、あなたが死を超えて生きるため。これを受けて生きよ」と。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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