2026年5月17日 復活節第7・昇天後主日
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| 「昇天礼拝堂」の祭壇天井. 聖公会ウォルシンガムの聖母聖堂. |
逃げたいほどに体がしんどかったり痛かったりする時、ゆっくりと呼吸します。「マインドフルネスめい想」です。5分もそのようにすると「あぁしんどくてもいいんだ。主が共におられる」と思える時があります。神さまに肉体が受け容れられ、肯定されたように思える時です。
復活したイエスさまは昇天しました。「私は御もとに参ります」(ヨハネ17:11)その時イエスさまは魂だけ体から抜けて行くことはされませんでした。「イエスは彼らが見ている前で天に上げられ雲に覆われて見えなくなった」(使1:9)肉体ごと天に昇られたのです。
もちろん現代的に「天」は雲の上にも宇宙の果てにもありません。私たちの世界である「地」の一箇所ではないのです。しかし、そこは確かにイエスさまの肉体、私たちと同じ人間の肉体が入っていかれた「神の場」です。父なる神との関係にある、命溢れる異次元の場です。
つまり神は私たちの肉体とこの体で営む現実生活を否定されず受け容れたのです。天地創造や受肉と同じように、主の昇天によって私たちの肉体を含む人間性をご自分の内に迎え入れ、聖としました。
カルヴァンは教えます。「主は私たちと同じ肉体で、私たちの代わりに天に入られた・・・私たちはもはや淡い希望で天を待つのではなく、私たちの頭であるキリストの内に既に天を所有している。」(II.16.16) 聖霊によってイエスさまと結ばれた私たちは、死と復活を待たず、天の御体を地上で生きます。父と子の交わりを生きます。私たちの本国である天を生きます。(フィリ3:20)
それが聖餐で起こります。「心を神に」「主に心を献げます」と霊的に自分たちを天に上げる時、私たちはイエスさまの肉を食しその血を飲み、その体と結ばれ、地における主の体の延長となります。そして日常生活を聖とします。祈りつつそこに生きる私たちの体で聖とします。
私たちの肉体と一つである主イエスさまは、父の右に座し、地を支配しています。罪と死の癒しは始まりました。安心しましょう。どんなに体が弱くて、脆くて、悪くても、神は体を受け容れ、癒しを始めました。体の苦しみに負けていられません。
「私の体の延長になれ。そして天に受け容れられ、地では天を生きなさい。父と私の命の交わりを。」てに

