2026年2月22日大斎節第1主日 聖餐式
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| Adam and Eve.Giovanni della Robbia,1515. |
自殺防止の傾聴ボランティアをしていたとき、よく「悪魔の誘惑」を受けました。それは活動後です。「自分は善いことをしてやった、話を聴いてやった」と思い上がる時です。本来は感謝と、ご本人の今後を祈るべきですが思い上がる機会となるのです。
創世記では、いまだ死を知らない人間は「善悪の知識の木から食べるな。死んでしまうから」と神に忠告されます。しかし悪魔(蛇)にそそのかされ、「成りあがりたい」欲望を抑えられず食べてしまいます。
倫理的には「善悪を知る」ことは必須です。子どもにも教えなければなりません。「やっていいことと、悪いことがあるでしょ!」
しかし霊的には、つまり神との関係においてそれは「神のようになる」ことであり、神を不要として自分を神とし、神の命の交わりから離れ、自分に囚われて死ぬことです。神から離れると死ぬのです。
霊的に言うと「自分が善いか悪いか」は自分で判断するものではなく、その判断は神に委ね、神に決めて頂くことで生かされるのです。
それが詩篇32編の「罪を告げる」懺悔です。アダムもイブも罪を誰かのせいにして、自分は悪くない、と言い張りました。自分が判断して神に委ねていません。しかし本来は「私は罪を犯しました」と認めて、その自分に対する判断と審きを神に委ねるのです。「こんな失敗をした私について、主よ、あなたが判断してください」と。そうすれば愛の神は赦されるのです。「あなたは罪人だ、しかしそれでも、善い」と。
人間をやり直すキリストは、荒野の誘惑で善悪の判断を父に委ねて頼りました。「神の言葉で生き」「神を試さず」「神に仕え」ました。(マタイ4章) そして苦しみ死んでいく自分の人生の判断も委ねました。「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカ23:46)だからこそ復活して神の判断と裁きに生かされたのです。「復活によって力ある神の子と定められました」(ロマ1・4)
人生の良し悪しは分からないものですし、分からないままでよいのです。大斎の祈りで、そして最期の日にも、判断は神に委ね、神に裁いて頂き、生かされましょう。「父よ、私の霊を御手に委ねます。」
「分からないままでいい。委ねよ。あなたをよしとするのは私だ。」

