2025年9月21日 聖霊降臨後第15主日(特定20)
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レイメルスワーレ(Marinus Claeszoon van Reymerswaele)「不正な管理人」1540年、ウィーン美術史美術館. |
ルカ福音書はお金の使い方を重要視します。神を信じる生き方、また神の国とは、絵に描いた餅ではなく、現実生活に密着したものだと。
神の国は貧しい人のものです。貧しい人に施すなら神の国は与えられます。(6・20、12・32-3) 聖書の神は経済格差を嘆き、格差是正を願う神です。この願いを背景として理解すると今日の「不正な管理人」の譬えは、イエスさまの貧しい人への慈しみを表していることになります。
ある財産管理人が流用を告発されます。そこで彼は解雇される直前にずる賢さを働かせて、主人に借りのある人を一人一人回っては借金の額を書き換えていきます。借金を軽減された人たちは喜びます。そうして不正な管理人は解雇されても迎えてくれる人を作りました。主人は、予想に反して、その「賢くふるまった」行動を褒めるだけでなく勧めるのです。「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と。
もちろん不正を許容するのではありません。そうではなく、ピンチにあってずる賢く自分の救いを確保するための友達作りではあっても、それでも貧しい人を助けたことを褒めたのです。たとえ動機がずる賢い「自分の救い」であってとしてもよい、それでも貧しい人を助けろ。「富で友達を作れ。」それが神の国をもたらすことになる、と。神さまの「結果オーライ」です。
人の心には色んな動機があります。悪や罪の動機もあります。しかし十字架で神さまは人間の全ての動機を受け容れられました。そして死なれました。そしてそれでも神の国を成就するために人間を用いられます。神さまは人間の動機を問わないほどに、神の国を求めておられるのです。貧富の差のない社会を熱望されておられるのです。
だから、ずる賢く自分が救われるための施しでもよい。自分が天国に行くためでもいい。それぞれの人が、自分のできる範囲で貧しい人を経済的に助ければ、私の熱望する神の国は実現する、と。神の切望は、小さな正しさをも超えます。
「奉献」で私たちの献金を受け容れられる神の声を聞きましょう。
「この際、動機は何でもいい。貧しい人を助けなさい。それが私の願いだ。」