愛し合うという伝道 「互いに愛し合うならば・・・皆が知るようになる」ヨハネ福音書13・34

2025/05/17

洗足 伝道

2025年5月18日 復活節第5主日

「ペトロの足を洗うイエス」 1852–6, Ford Madox Brown.

悲しむ信徒さんを他の信徒さんがハグしていました。一つになって背中を撫で、一緒になって悲しんでいました。その姿に、復活して今も共にいてくださる主が現れた気がしました。

今日の言葉はイエスさまの遺言です。復活、昇天して物理的に離れたあと、弟子たちがどう生きれば良いか教えました。「互いに愛し合うことで新しい命を伝道せよ。」

「私は新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」と主は命じられました。愛の掟自体は旧約聖書にもありますが、ここでの「新しさ」は復活の新しさです。「私が愛したように愛し合いなさい」と言われたイエスさまの愛の生き方を真似るとき、今ここに生きているイエスさまの新しい存在、復活の命が現れます。そうして復活の命が伝わるのです。

その愛を、今日の場面で、主は「洗足」で表しました。召使いとなってかがみ込み「めっそうもない」と断るペトロの汚れた足を洗われました。愛は手拭いです。自らを使って相手の汚れや悲しみを拭き取り、美しく生かします。自らを差し出して相手と一つになり、共に生き、共に死に、共に復活します。

イエスさまは洗足のように人の汚さをその身に負い、十字架に付けられて死に、復活されました。そんな私の愛に倣いなさい、と。

人の話しを聴くというのも洗足の愛です。疲れた心、汚れた心、悩む心を、できる範囲でいい、しっかりと聴く。それもまた人に仕え、人を美しく生かす一つの愛です。

人は一人きりでは復活しません。「互いに愛し合いつつ」復活します。それが聖徒の交わりです。

私たち信徒同士が互いに愛し合うとき、私たちは主の弟子であることを現します。そして私たちの生き方を通して、私たちの先生は今も生きていることを現します。

伝道とは外見的には信徒と献金が増えることです。しかし伝道の出発点は、信徒同士が互いに愛し合うことだと主は命じます。信徒が愛し合っていれば、教会に一歩踏み入れた未信徒は復活したイエスさまに出会います。また、愛し合うことで信徒は愛の人としなり、未信徒に神の愛を伝えられるのです。

私たちの足を洗って愛して下さるイエスさまに従おう。「伝道を始めなさい。互いに愛し合うという伝道から。」

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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