2025年5月11日 復活節第4主日
補助犬の〇〇ちゃんはご主人が大好きです。だから注意がほかのことに逸れても、ご主人が「〇〇~」と優しく声をかけるとすぐに我に返ります。ご主人の声を聞き分けている限り、〇〇ちゃんは自分らしくいることができます。ご主人の心を求める自分こそ、自分自身です。
信仰の自分らしさも同じ。私たちは神の呼びかけを聞き分け、神を求めるとき、最も自分らしくなります。求道心が自分らしさの源です。
信仰に入った当初や霊的に元気なときは、主イエスさまを求める心に溢れています。しかし病や罪や死の力が働くとき、私たちは求道心を失います。神を追い求めていたこと自体を忘れ、この世の満足に心を奪われ、気づかぬうちに自分自身を見失ってしまいます。
しかしイエスさまは保証されます。「安心しなさい。あなたは羊飼いであるわたしの声を必ず聞き分ける。誰にも見せない最もプライベートな心の奥底で、私との個人的な関係を追い求める自分自身を必ず取り戻す。その求道心はどんな死の力や罪の力に襲われても失われることはない」と。
そして祈りや聖餐式の中で、復活して今も生きているイエスさまが呼びかけると、私たちはその声を聞き分け、心の底の落とし物を取り戻します。自分らしい求道心は決して失うことがありません。何度でも呼び出され、見つかります。
求道心によって私たちはイエスさまと一つになり、共に父との交わりを追い求めます。「父とわたしは一つである。」(10・29)
永遠に求道心を失わず、常に自分らしく生き生きと、神を求め続ける。子なる神イエスさまと共に、父を求め続けて生きている。神を憧れ慕うその愛が、果てしなく永遠に伸びていく。それが復活の命です。究極の自分らしさです。
そしてそれは神ご自身が常に私たちを求め続け、働きかけ、引き寄せてくださる幸せでもあります。
ご主人の声を聞き分けて我に返る補助犬〇〇ちゃんのように、また羊飼いの声を聞き分けて羊飼いに従う羊のように、陪餐で私たちを養うイエスさまの声を聞き分けましょう。
「あなたは私を聞き分けられる。そして永遠に私を求める求道心によって、自分自身になれるよ。」