荒れ野が楽園に

2024/02/16

アダム 悔い改め、荒れ野 楽園

 「サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」 (マルコ1:13)

2024年2月18日大斎節前第1主日

「荒れ野のキリスト」. Moretto da Brescia. 1515–20.             

  死から命の旅である大斎節の初めに読まれるこの奇妙な箇所は「新しい楽園の新しいアダム」のようです。このマルコ福音書にだけ野生の動物「野獣」がいるのです。創世記第1章で神は世界を創り、獣を創り、人間を創って楽園に住まわせ、食べるための木の実を与えました。同じようにイエスさまはここで野獣と共にいます。ですが天使に仕えられて養われています。野獣との間に敵意はありません。平和な楽園のようです。
  また古いエデンでは蛇の姿をした悪魔が人間(アダム)を誘惑し、人間は神になろうとして楽園を追放され、死にいく者となります。同じように荒れ野でもサタンがイエスさまを誘惑します。ですがイエスさまは(ルカのゲッセマネの園のように)天使によって仕えられ力づけられています。新しいエデンでは、人間は誘惑を退けて100%神さまを求め、100%自由になり、愛と喜びに満ちた最も人間らしい人間、最も自分らしい自分になります。
  ここでの新しい楽園としての荒れ野は、復活の命の先取りです。洗礼を受けたエスさまが目指す目的地です。死と悪魔の荒れ野が、命の楽園になる。そのために苦しみと復活の旅に出ます。私たちの死と悪を引き受けて死に、復活して新しい命の楽園を開かれます。
  使徒書ではノアの物語が洗礼の象徴とされています。死の洪水を方舟に守られた者は、新しい世界に生かされます。洗礼を受けた者もまた、新しい世界に生き始めるのです。死が命に変わります。
  人生の荒れ野は苦しいものです。渦中にあっては終わりも出口も、神さまの導きも見えません。神さまなんて信じないで、いっそ死んだ方が楽かとも思えてきます。まさに荒れ野は死と隣り合わせです。
  しかしイエスさまと一体になって神さまの奉仕を受け容れるとき、荒れ野は新しい楽園になり始めます。新しい人間になる場になります。神さまの奉仕により「お前が神になってしまえ」という悪魔の誘惑を退けるとき、神に愛された新しいアダムになるのです。
  「礼拝でわたしの奉仕を受け入れなさい。わたしはあなたの荒れ野を新しい楽園にしよう。」



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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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