わたしはあなたが好き

2024/01/27

悪霊 権威 神の愛 聖餐式

 「権威ある新しい教えだ」マルコ1章27節

2024年1月28日 顕現後第4主日

カペルナウムの会堂でのキリスト. ランバッハ修道院, オーストリア,11世紀.
 「私はあなたが好き」 恋する人に告白するときは、自分自身の気持ちを素直に伝えます。「〇〇さんはあなたを好き」とか「状況証拠から、私はあなたが好きなようです」では自分の思いは届きません。  
  カペルナウムの会堂で、イエスさまの語りかけを「新しい権威だ」と律法学者たちが驚いたのは、イエスさまが「自分自身の気持ち」として神さまの心を語ったからです。「聖書にはこう書かれています」とか「あの先生はこう言いました」と、他の権威によってではなく、自分の気持ちとして自由に、力強く語られました。神さま自らがご自分の心を語られたのです。驚きです。
  それはただの、モーセの「ような」預言者(申18:18)ではなく、絶対の実行力を持つ新しいモーセです。人となり、死に、復活することによって新しい契約を結ぶ神さまが、自らの心を語っているのです。「結婚して下さい」と告白した人は、その結婚を実行するようなものです。イエスさまを通して神さまは、自らを犠牲にして命を与える愛を語るだけではなく、その愛を実行して死に、そして復活されました。死にも罪にも負けず、神の言葉を少しも違わず実行されました。 
 人となった神が語る自分の心、それは愛です。(1コリ8:1) イエスさまの教えは知識を伝えるだけの言葉ではありません。命をかけた愛の告白であり、愛の実行であり、人を愛に変えてしまう出来事です。「それでもわたしはあなたが好きだ。」
 この神さま自らの愛の告白が、人に取り付いた汚れた霊を打ち負かせます。「この人は汚れている」という偏見の呪縛を打ち砕いて、愛は死に勝ちます。「ほかの人間がどう言おうと関係ない。それでもわたしはあなたが好きなんだ。」
 聖餐の中心も神さま自らが語りかける「わたし」です。「これはあなたがたのために与える、わたしの体。わたしの、新しい契約の血。」神は聖餐で、ご自身の愛の心を開き、その愛を実行されます。陪餐のときの言葉を「わたしはあなたが好きだ」と言い換えてもよいのです。 
 そして神さまに「わたしは」と語りかけられた人は、自分の殻を出て神の溢れる愛に飛び込みます。自分の「私は」が呼び覚まされます。「私もあなたが好きです。小さく弱いですが、私の人生を捧げます。」
 「わたしはあなたが好きだ。死ぬほど好きだ。あなたはどうだ?」



このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 イエス 信仰 聖餐式 祈り 三位一体 受肉 神の国 聖霊 アッバ 癒し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ 赦し アブラハム クリスマス 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲセマネ ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 羊飼い 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 大祭司 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 感謝 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ