見つめ合う幸せ

2023/01/23

三位一体

「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る」  マタイ福音書第58

2023129日 A年顕現節第4主日

東方正教会の聖三位一体イコン

「幸せって一体なんなんだろう。幸せになりたい」この願いにイエスさまは神の山から教えました。「神さまを見ることこそ本当の幸せだよ。」


 しかし神さまは物や景色ではありません。ただ単にこちらからあちらを眺めるる対象物ではありません。私たちを見つめ返しておられる存在です。人格です。だから幸せとは神さまと見つめあうことです。なんという喜びでしょうか。


 それで思うのは食卓での私と妻です。イライラして、喧嘩して、意地悪で、誠実でないときは、顔なんて見たくありません。見ても怖い顔です(お互いに...😩) ですが互いに誠実で優しいときは、何も言わずに見つめ合い、微笑むことさえできます。神さまとそうできるなら、なんと幸せなことでしょうか。


 ただ、この幸せが約束されているのは「心の清い人」です。それは誠実な人です。「心の貧しい」自分に誠実であり、謙虚に弱い自分を受け容れる人。自分にも神さまにも透明な人。そして心貧しく無限の愛である神さまを慕い求める人。素直に神さまに憧れる人です。


 「それなら私はダメ。心が清くない」と諦めがちです。実際、完全に心が清く、自分の命を与えるほどに父の心に誠実であるのはイエスさまだけです。父なる神さまと見つめ合うことができるのは、イエスさまだけです。


 しかし私たちは神さまに創られ、神さまによって新しく清くされた、神さまの似姿です。だからイエスさまの清さと誠実さに結ばれたなら、「イエスさまの目」を通して父なる神さまと見つめ合えます。


 この神さまの内なる見つめ合い。この関係が聖霊と呼ばれる愛です。そこから全ての愛が始まり、そして天の国でこの愛が完成します。わたしたちの本質は愛の見つめ合いです。救われるということは、愛で見つめ合えるようになることです。


 聖餐の中から主は私たちを見つめて言われます。「わたしを見つめておくれよ。わたしはずっとあなたを見つめているんだよ。そしてわたしと一緒に父を見つめようよ。父はずっとこちらを見つめてくださっていたんだよ。わたしはあなたが汚れて不誠実な間も、ずっとあなたを見つめていたんだよ。」




 

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 イエス 信仰 受肉 祈り 三位一体 神の国 聖霊 アッバ 癒し 赦し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ アブラハム クリスマス ゲセマネ 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 羊飼い 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ