解放の食卓

2023/01/12

過ぎ越し 赦し 陪餐

 「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」 ヨハネ福音書第129

2023年1月15日 顕現節第2主日(A年)

過越の食事

 この言葉で陪餐するとき、私は自分の罪の赦しを祈ります。それは自然で善いことのはずだと思っています。


 しかしこの箇所を読み返すと実は「私の罪の赦し」ではなく「世の罪を取り除く」です。主観的な赦しの感情ではなく、客観的な神さまの救いの業です。「罪を赦してもらってまたいつもの自分に戻る」のではなく「神は世界の全ての罪を取り除いてくださり、世界は変わった!」です。解放の食卓です。
 
 この救いをもたらしたのが「神の小羊」、言い換えると「小羊としての神」つまりイエスさまです。小羊は「怒り狂う神をなだめる可哀想な供えもの」ではありません。出エジプトで奴隷の国から解放される夜に屠られた「過越の小羊」です。(出11章) 


 その夜、エジプト脱出のために、エジプト中の初子が死ぬことになりました。しかし小羊を屠り、その血を鴨居に塗った家の上を主は「過ぎ越し」命を守られました。この小羊の犠牲によって民はエジプトの奴隷から解放され、自由の地へと導かれました。奴隷状態を「取り除かれ」たのです。だから過越の子羊は解放のしるしなのです。


 過越祭の祭りは、この神さまによる脱出と解放を祝う祭りです。旧約聖書では鴨居に血を塗り、子羊と酵母なしのパンと苦菜をたべ、旅をする服装をして、立って食べるとされています。解放を記念する食卓です。


 イエスさまは殺される直前、出エジプトの解放を記念する「過越の食事」を祝い、ご自分こそが真の過越の子羊だと示されました。この世界を愛し、この世界の罪を背負って屠られ、その犠牲によって人を罪の奴隷から解放する小羊です。


 陪餐する人を、神さまはご自分の愛の犠牲によって罪の奴隷から解放し、死を取り去り、新しい人間の自由に導かれます。
 

 私たちにとって、世界が縛られている罪の奴隷とは何でしょうか。戦争、虐待、貧富の格差、環境破壊、または愛のない教会、または自分自身。神さまは奴隷状態から解放してくださいます。


 だから陪餐するときは、ちっぽけな自分の赦しだけでなく、この世のすべての人から罪の奴隷が取り除かれ、解放されるように祈りましょう。


 主は「父に信頼する人を苦しみから解き放つために御手を広げ、苦しみを忍び、悪魔のかせを打ち破り、新しい命に復活して勝利をあらわされたのですから。(感謝聖別II)


このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 イエス 信仰 受肉 祈り 三位一体 神の国 聖霊 アッバ 癒し 赦し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ アブラハム クリスマス ゲセマネ 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 羊飼い 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ