祝福とは、罪からの自由 「私の中に住んでいる罪」(ロマ7:17,20) 大斎節第三主日

2021/03/04


イエスさまの「宮清め」は救いの象徴だ。神を忘れて利益追求に走る罪を、神は私たちの心から追放なさる。


罪とはただの「的外れの失敗」ではない。注意すれば次はしっかり射止められるものではない。罪とは、力だ。「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている・・・もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪だ」(7:19,20)。何かが住んでいる。責任は自分にあるが、自分の内に他の意志や「法則」や生き物が住んでいるようで(7:21)、二人羽織のようだ。私たちが支配されているこの力が「罪」と呼ばれる。


罪の力に似るのが依存症の力だ。ニコチン、アルコール、覚醒剤、性や恋愛、ギャンブル、「共依存」・・・。


私たち神の民は、聖書の昔からこの力に支配されてきた。民は十戒を授かる瞬間に既に他の神々を崇拝し、王国となっても他の神々に頼り、主は怒って国を滅ぼされた。そして神殿は「商売の家」となっていた。(ヨハ2:16)


しかし神はご自分の民イスラエルを罪に「売られた」ままにされなかった。(7:14) 一人息子を神の民の象徴とし送られた。彼は罪の力から自由になって神を愛し、神の民を成就した。つまり彼は罪の力の全てを受けて死に、神の民を贖って買い戻し、復活して罪を「処罰」し追放された。(ローマ8:3) 命の力は死の力に打ち勝ったのだ。



  信仰と洗礼によって私たちはキリストに結ばれ、神の民アブラハムの子孫となった。そこに主の誓約が成就する。「全ての氏族はあなたによって祝福に入る」(12)それは罪の力から全く自由に、神と愛し合う命の祝福だ。


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ジョット・ディ・ボンドーネ 「キリストの宮清め」 1305 年頃、スクロベーニ礼拝堂、パドゥア、イタリア


 

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