去年の相模原殺傷事件の殺人犯は「障害者はいなくなればいい」と考えました。ユダヤ人は「障がいの原因は本人か親だ」と考えました。現代日本人も、私も、無意識に「障がい者は人より劣り、不幸せで可哀想」と考えてしまっている時があります。その時見えていないのは、障がいを生きる人の内に存在する神の恵みです。肉眼は見えるのに、心の目、心眼は全く見えていません。事件後すぐ家族会は「一人びとりは大切な存在、安心して堂々と生きて下さい」と訴えました。イエスは障がいは「神の業がこの人に現れるためだ」と宣言されました。
イエスさまは、ある視覚障がい者の肉眼を奇跡的に癒しました。その人は村八分にされても、奇跡の事実を忠実に告白し続けました。そして排斥された所で再びイエスさまに会い、こう宣言されます。「あなたはもうその人を見ている、神を見ている」と。
「イエスこそ私の神」と暗闇に信仰告白の楔を打ち込み続ければ、必ず神は心眼を開いて下さいます。そして一人びとりの人生の内に、神の恵みを見させてくれるのです。
