着せる神
「恵みの晴れ着をまとわせてくださる」イザヤ61:10
捕囚から帰った民は、財政難や部族間争い、干魃や略奪により、神殿を廃虚から再建できずにいた。それはまるで祝いの日に、子どもに何の着る物も用意できない親の悔しさだ。だから神は「わたしが必ず着せる」と約束された。
このクリスマス、Aくんは赤と白の服を着て教会に来た。サンタの色だ。「クリスマスだから」とお母さまが着せてくれたのだろうか。そう思うと私は愛を見た気がした。それは「私は母に愛された子」という「恵みの晴れ着」だ。神とは、あなたに愛を着せて幸せにする存在なのだ。
使徒書も福音書も「神の子とされた」喜びを語る。(ガラ4:5、ヨハ1:12)。当然、弱く過ちを犯す私たちは、そのままでは神の子ではない。ただ人となり、人の過ちを十字架で処分された神の子を信じて一つになれば、神は私たちに「神に愛された子」という「恵みの晴れ着をまとわせてくださる」。どんなに失敗した人間でも、だ。
預言から500年後、神は石の神殿ではなく、自分の命、愛する御子を私たちに着せてくださった。洗礼で私たちは「イエスの命が現れるためにイエスの死を身にまとった」。(2コリ4:10) 父への感謝と賛美に満ちる新しい「聖霊の神殿」とは私たち自身の体だ(1コリ6)。