Aさんは耳が少し遠く、いつも不便さを抱えておられる。大切な言葉が聞き取れないと、置いてけぼりにされて顔が曇る。そこで優しいBさんが耳元でささやく。意味が分かったAさんの顔は晴れ、目に光が戻り、深くうなずく。そんな喜びの表情を見ると私まで嬉しくなる。
終わりの日には、耳の聞こえない人が聞き、口が利けない人が喜び歌う。神の国では、既に自分らしさとなった障害や病気の体験はそのままに、辛さと苦しみの全ては無くなり自由になる。イエスさまの奇跡は終わりのしるしだ。
ただイエスさまが口止めしたのは、癒しは十字架と復活によって、肉体だけでなく心と魂にまで及ぶ恵みとして受け取って欲しいから。癒しの主であるイエスさまが自分を癒さず、辛い十字架の苦しみに満ちて死んだのは、あなたを赦し、心と魂も神の命に復活させるためだ。
そのとき、心の耳も開く。普段は不安や悲しみや苦しみで心の耳が「遠く」、生活や人生の意味は分からない。心は置いてけぼりにされて曇ったまま。しかし優しいイエスさまが来て、あなたの耳元でささやくとき、これまでの生活と人生の意味がはっきり分かる。そして心は晴れ、深く頷き、喜び歌う。今日、そのときは始まる。この主の食卓につくときに。