2026年11月8日聖霊降臨後第24主日(特27)
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| Friedrich Wilhelm von Schadow. 「賢い乙女と愚かな乙女の譬え」1838-42,シュテーデル美術館 |
「十人の乙女の譬え」は意地悪に聞こえます。花婿が花嫁を連れて帰るのを乙女らはオリーブ油の灯火で迎えます。しかし花婿の帰りが遅くて十人みなが眠りこけてしまい、お皿の灯火も消え果てました。真夜中に「花婿が来た」と聞き、乙女たちは灯火をつけようとしますが、5人は油がありません。「分けてください」と油壺を持っている他の乙女たちに願いますが「自分の分しかない、自分で買って」と断られます。そして買いに行っている間に花婿が着き、灯火のある乙女らは祝宴に入り戸が閉まります。「ご主人様、入れてください」と叫んでも「私はお前たちを知らない」と冷酷に告げられます。
ですがこの譬えの主題は「賢い乙女は意地悪か」ではなく「どちらが花婿の遅れに準備をしたか。あなたも準備をしなさい」です。背後には「キリスト再臨の遅れ」があります。遅れている今、どんな信仰生活を送るのか。それが準備すべき油です。ある人は遅れを想定できず、信仰の実践を忘れてしまったので、再臨の主を迎えられませんでした。賢い乙女らは遅れを想定して、その間も信仰を実践したので、主を迎えることができました。
答えは25章の小さくされた者として再臨するイエスさまです。「飢え渇き、裸のよそ者で、病んで牢獄にいる、最も小さき者の一人」として主は来ます。小さな日常で小さくされた者を大切にする人は、主に会う油を携えています。しかし「キリストは来ない」と天と地を切り離して考え、この世的に「だけ」生きて小さき者を大切にしない人は、主に会う油の準備がないのです。
自分が人を愛した愛。これは他人に分け与えることができません。
これは天国の愛する人も同じです。復活での再会を待つとは、ぼーっと天を見上げることではありません。小さな日常生活を共に生き、愛することです。そうすれば心の準備ができ、再会するときには喜んでその愛について話ができるのです。
私たちは必ずイエスさまに会いします。聖餐でパンをお腹に入れるように、小さき者を愛する「油」を心の壺に入れてましよう。
「小さい私を愛する油を、いつも心の壺に入れなさい。私はあなたに会いに来る。愛の灯火で祝宴に入り、その愛について語り合おう。」

