病いを通して

2024/03/22

共感 苦難の僕 病い

 「多くの痛みを負い、病いを知っている」(イザヤ53:3)

2024年3月24日復活節前主日・棕櫚主日

Tiziano Vecellio. 1560年頃
 「分かるよ。私も同じ。」 どんな優秀なお医者さんの診察よりも、同じ病いや問題を抱えて苦しむ仲間の一言のほうが癒しとなることがあります。自助グループはこれをします。同じ苦しみを抱える人にしか分からない、言えないことを語り合うことで癒され、力づけられます。

 神さまも、自ら体験することで私たちの痛みと病いを「知っている」存在です。人間の共感には限界がありますが、神さまは無限です。すべての人の痛みと病いを自ら体験して「知っている」のです。

 イエスさまの苦しみ。復活後の信徒らは、その苦しみの意味をイザヤ書に見出しました。イエスさまが体験されたのは、私たちの病いと痛みだったのだ。私たちと一体になって、私たちの代わりになられた。それによって私たちは癒されたのだ、と。

 病いと痛みには体と心の両方のものがあり、それは究極的には死に繋がります。また「神さまと自分との関係」としての魂の領域にも、病いと痛みはあり、それは罪と咎(罰)と呼ばれます。これらは魂の死、つまり神さまと絶縁された絶望と悲しみをもたらします。

 しかしイエスさまは、体と心と魂すべての病いと痛みを体験し、完全に私たちに共感し、また私たちに代わって死に至るまで一体となられます。苦しみによって一つになってくださるのです。そして私たちを癒されます。「分かるよ、私も同じだから」と一言かけるように。

そして体を復活させて病いそのものを消し去り、心を平和にして良心の呵責を拭い、魂を赦して神と一つにしてくださいます。

 神さまは、イエスさまの苦しみのうちに私たちを知ってくださっています。それは逆に言うと、私たちは苦しみの中で、イエスさまの苦しみを知り、神さまを知るのです。病いと痛みのなかで神を知るのです。

 聖餐の苦しみのなかに、神さまの完全な共感を知りましょう。

「分かるよ。私も同じ。」



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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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